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先生の「無力化」が進んだ結果。



教員の働き方改革が進んでいる。

自治体や学校法人によって、その改革の進み具合にはだいぶ温度差があるようだが、改革の途上であることは認めようと思う。

だが問題なのは、その改革を主導している主体である。

つまり「誰が」具体的に改革を進めているのか?

その答えは「国が」・・・、である。

国が主体となって、先生の働き方を改革しようとしているのだ。

今さら・・・、の感は否めない。

今さら、何が働き方改革だ!という意味である。

長時間勤務がキツイ! 持ち帰り業務が多い! 時間外部活指導はおかしい!

殊に「学校の先生はキツイ!」「学校はブラックだ!」といった社会的イメージが定着したのは、もう20年以上も前のことだ。

学校という仕事場の制度的・文化的背景を考えれば、そこがブラック化するのはあたりまえのことである。

だって「前例を踏襲」した状態で、「新規事業」も立ち上げるんだもの・・・

そんなのブラックになるに決まってるでしょ。

では、なんで学校は「前例踏襲」が大好きなのか?

ボクの見立てでは、どうやら好きで「前例踏襲」を続けているワケではないようだ。

日本人が大好きな忖度だ。

つまり「前例」には、かつてその事業(案件)に心血を注いだ(と自分たちではそう思っている)ところの先達がいる。

例えば、現校長から見れば、前校長や元校長がその先達に当たる。

その方達が苦労して作り上げた「行事」や「慣例」、それに誰も理由を説明することすらできない「謎の風習」・・・、これを否定する、そのこと自体が学校では「悪」となるのである。

なぜ「前例」を否定することが悪なのか?

そこに儒教的精神世界が横たわっているワケだ。

良く言えば「長幼の序を重んじる」であり、悪く言えば「長いものには巻かれろ」である。

だから日本の特に教育委員会管轄下の学校(=公立)では、絶対に前例を否定しない。

そういった文化なのである。

が、そういった文化も21世紀になる前後くらいまでは、一部の出世を目指す幹部候補(=学校管理職)の人々のお家芸として収まっていた。

つまり現場の教員には、前例を打ち破る程度の力と勇気が充満していた。

残業なんて拒否するし、強制的に部活顧問を任命されるなんてことはあり得なかったのだ。

みんなが、そう「自己裁量」で残業もするし、好きな部活の顧問もやった。

学校って、繁忙期がハッキリしてるから、その時だけは確かに長時間労働が強いられる。

けれどもそれ以外の時期は、「自己裁量」でやってね・・・

これが現場教員が構築していた学校文化だった。

信じられないかも知れないが、学校を運営していたのは、確かに管理職かもしれない、が、実際に学校を廻していたのは、現場の教員だったのである。

しかしそういった教員集団は管理職から見れば危険集団でもある。

何をしでかすか分からないからだ。

しかも、そういった教員集団の中心人物ほど、子どもたちから人気があったりもする。

そんな二元支配では組織として秩序が保てない。

それ以上に管理職からすれば、その二元支配状態そのものが面白くない。

だから学校管理職は悲願であった教員への勤務評定を復活させた。

教員の勤務状態を、その管理職が評価して数値化する・・・、それを40年ぶりに復活させたんだ。

そもそも、なんで勤務評定が実施されてなかったのかについては項を改めるが、結果的に勤務評定制度が自治体毎に数年かけて復活を遂げた。

それが2000年代のことである。

するとその効果はてきめんにだった。

教員が急におとなしくなった。

だって面倒くさい、またはうるさい教員は「人事異動」という名の「島流し」の刑に処せられるのだから・・・

よってその現実を見せつけられた若手教員は、手のひらを返すが如くに「イエスマン」へと転身していった。

「島流し」になった教員は、例えば僻地の学校や極端な学力不振校へと集約され、そこで余生を送った。

やがてそういった学校は少子化の下で廃校となった。

ボクはこのカラクリを知って「よくできてるなぁ~」と感心したものである。

このようにして学校管理職と現場教員との二元的支配は幕を閉じた。

そうして、新たに現場教員の下に降りてきた文化・・・、それが学校管理職文化(=教育委員会文化)である。

だから今では案外と誰でも学校管理職に手を挙げることができる。

つまりハードルが随分と下がったと言っていいだろう。

学校管理職と現場教員との間の断層がなくなったからだ。

その代わりに、そう「前例踏襲」主義が、儒教的精神世界と共に降臨してきたのである。

だから学校の先生は「ブラック組織」の下で文句も言わずに働かされていた。

しかも、そのブラック組織を自分たちの手で改善しようとする力も勇気もすっかり奪われてしまった状態で・・・だ。

よって同僚がどんどんとメンタル不調を訴えても、それを放置することしかできなかった。

つまりは、彼らが「うつ」になって休職し、または退職していく・・・、その現実をただ見ているしかなかったのである。

先生の働き方改革を国が主導している・・・。

それは言い換えれば、先生自身の能力では「自分たちの働き方」すら改善できないってことと同義である。

誰かに「大切な何か」をやってもらうことが当たり前の世の中にあって・・・、

せめて学校の先生くらいは、自分の尻は自分で拭くことのできる人々であって欲しいと願っているのであるが、どうもそれは無理なようだ。

「大切な何か」をやってもらってきたところの人々は、その「大切な何か」を誰かにやってあげることで、自身の無力さを帳消しにしようとしている・・・、

それが今の学校の先生なのではないか・・・。

ボクにはそう思えてならない。
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