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ボクが「学び」を続ける理由。

「学び」から得られる達成感ほど貴いものはない。

別にカッコをつけてそう主張するのではない。

ボクには、学びから逃避していた時期があったから、よくわかるんだ。

ここで言う「学び」とは、自らのアプローチで掴みにいった・・・、その行為自体をいう。

だから、ただ遊んでいるだけの生活の中で、結果的に「何かを学んだ」という後付けのものではない。

自身のアンテナ感度を「知りたい!」に合わせて、そこの領域にしっかりと潜り込んだ、その状態のことだと思ってくれればいい。

ボクが、その青春を過ごした街には、在日韓国・朝鮮の人々がたくさん住んでいた。

彼らが言うところの社会的理不尽を、ボクはその彼らから、例えば暴力のはけ口として受けていた。

ボクの心にはモヤモヤが募った。

けれども、そんな彼らを殊更に避けるのは、それも何だか違うな・・・、そう考えていた。

だからボクは彼らの世界に潜った。

友人を介して彼らの「哀しみ」のようなものの末端に触れることもできたと思う。

そして立場を替えてみた時、ボクの中に彼らが抱える「理不尽」が、輪郭を伴って移り始めた。

ボクはもっと「知りたい」と思った。

歴史を知って、民族を知って、そして社会の混沌を知りたかった。

そんな時、狭山事件に出会う。

「部落」と呼ばれる地域が、ボクの住む街の周辺にも存在することがわかった。

部落解放同盟の存在を知った。

少し怖かったけど、ボクはそこへも行ってみた。

解放同盟の人々は、それでも優しくボクに諭してくれた。

この国の、この社会の「負」の部分を決して見過ごしてはいけないと言われた。

在日韓国・朝鮮の人々の理不尽と、また少し毛色の違った理不尽が、そこには横たわっていた。

高校の担任がこう言った。

お前たちの「無知」・・・、それ自体が罪なんだ! と。

その時から、ボクは無知を恥じた。

無知でいることの罪悪感を、初めて抱いた。

ボクは高校を卒業すると同時に、街を出た。

どこか他の街(社会)で、未だボクが知らない何かがころがっていると思ったからだ。

ところが新しい街(社会)は、ボクが思ってた以上に平坦だった。

人々は「みんな同じだよね」というような趣で生活をしていた。

理不尽とはほど遠い場所で、何事もなく・・・、何事にも惑わされずに生きているかのような安穏さに、ボクは違和感を覚えた。

ボクが青春を過ごした、その街が異常だったのか?

ボクは自身のアンテナ感度を疑い始めた。

すると、ある人にこう言われた。

関西へ行って来い・・・、と。

で、大阪に行った。京都にも行った。大学の友人の実家に泊めてもらいながら、四国にも行ったし、広島や福岡にも行った。

関西圏には、理不尽が、そこら中にころがっていた。

その理不尽と彼らは戦いながらも、共存していた。

そこに関西人の「強さ」を見た。

関東人の「蒙昧」を感じざるを得なかった。

何が正しいのか・・・、それは今でも分からない。

ただ、若かりし頃のそういった経験から、在日韓国・朝鮮人と被差別部落民の存在は、やはりボクに重くのしかかった。

そして、そんな日本社会の混沌を腑分けする・・・、そのこと自体がボクのライフワークとなった。

だからボクは「学び」を止めない。

学びを止めたら、ボクがボクでなくなるし、何だか気持ちが悪いからだ。
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