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会議は「長い」「紛糾する」でいい。

 

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思うに、私たちは「正しい民主主義のあり方」を学ばないままに、今日の民主主義社会を運営している…、そんな気がします。

いや、そんなことはない…、民主主義なら義務教育の段階から徹底的に鍛えられているし、現に学校組織や企業内でのものごとの決定に関しては、ちゃんと民主的な手続きを踏んでいる…、そのように考えている方もたくさんいるでしょう。しかし、私たちが普段から採用している「民主的手続」って、本当に人々の合意の上に成り立っているものなのでしょうか? 本当に人々を幸せにしている制度なのでしょうか?

高校生に「民主主義の原則は?」を尋ねると、多くの生徒から「多数決の原則」という答えが返ってきます。しかしそれだけならば小学生からも返ってくる回答ですから、高校生にはさらに突っ込んで、「でも多数決には欠陥もあるよね?」と問います。するとお利口な高校生は、「少数意見が尊重されない」となるわけです。

ならば、その「少数の意見を少しでも尊重するには?」と問いを進めていった時、「少しでも多くの時間を割いて少数者の意見を汲み取りながら、多数意見と調整する…、つまり両者がある程度納得できる妥協点を見いだす…」というところにまで論が進めば、高校生を相手とした授業としては合格点をあげることができます。

つまり、そもそも民主主義には「膨大な時間と労力がかかる」ということが理解できればいいのですが、現実の世界では、この「膨大な時間と労力」がどうやら蔑ろにされているようなんです。

「会議は短い…に限る」という最近の風潮から、職場内での会議時間がどんどん短くなってきているようです。何ら議論する文化もなく、単に人々を集めて予め決定していた事項を伝達するだけの会議、または一通りの説明(プレゼン)をしてから儀礼的に反対意見を述べさせた上での多数決決議を強行する会議…、つまりは「民主的手続き」というアリバイを施した状態で、職場の執行部にとっては都合のよい「ものごとの決め方」が最近のトレンドのようです。

聞くところによれば、「会議が長い」「会議が紛糾する」とは、その組織の執行部(狭義には管理職)のマネージメント能力が不足しているからだ…、と世間では評価するのだそうです。日頃から人々を十分に管理し根回しさえしておけば、「会議が長引く、紛糾する」ことなんてあり得ないということなのでしょう。

ただ、「会議は短いに限る」という風潮が、会議を主催する管理職側からの戦略的なプロパガンダであるならば、それはそれで納得がいくのですが、どうやら「会議は短いに限る」と真剣に思っているのは、その会議に出席する側の人々なんです。「どうせ何を言っても聞き入れてもらえない」「最後は多数決で押し切られてしまう」「そもそも時間の無駄、早く帰りたい」…、そんな声が出席者から聞こえてくるのですが、そのような声(特に学校の職員会議に多い)が出る背景に、私はこの国の民主主義の未熟を感じます。



「会議が長い」「会議が紛糾する」…、そういった現象は決してみっともないことではありません。発言者のダラダラとした非生産的な話が続くことによって「会議が長い」とか、何にでも異を唱えて紛糾させること自体を目的とするだけの出席者によって「会議が紛糾する」のであれば、それは会議そのもの質が悪いのであって、そんな会議に付き合わされている他の出席者から失笑を買ってもしかたありません。しかし、そのような質の悪い会議を放置してしまっている原因の一端をその会議に出席している全員が負っていることは自覚しなければならないでしょう。

生産性のある「長い会議」もあれば、「会議が紛糾した」ことでかえって劇的に職場の雰囲気が改善した例も多々あるのです。会議を「ものごとの決定機関」としてだけの側面から見るのではなく、「人々の意見の発露の場」として捉えれば、その会議での決定事項とは違った次元で、敢えて「長い会議」を続けた効果が現れることだってあるんです。

人にはどんな時でも、そして特に難しい困難に直面している時こそ、「その思いを発露する場」が必要です。自身の思いを発露させ、その思いに周囲の人々がどのような反応を見せるのかを知ることによって自らの正確な立ち位置(ポジショニング)を確立していく…、人間というのはそのようにできているんじゃないかと思うのです。つまり昨今の「会議は短いに限る」現象は、そのような人間の欲求に逆行しているはずなんです。

私たちの社会は自由です。いや、一見すると「自由」な社会に見えますが、実はそうではないのかもしれません。

ドイツの思想家フロムは、人々の間にくまなく自由がいきわたっている今日において、人々はその自由がもたらす孤独や義務、責任を受け止めきれず、かえって権威主義的傾向を強める…、その結果自由な発言は途絶え、思考停止の状態から権威ある「何か」「誰か」に盲従するようになる…、そのような傾向は、例えば全体主義的な国家権力を容認する…、と警鐘を鳴らしています。

私たちはもう一度、先人たちが築き上げた「民主主義」と「自由」を正しく取り戻さなければなりません。それには「議論」を挑む、そして続けるしかありません。自身が思ったことを言える場は、きっと十分に機能しているのですから、なんら遠慮はいりません。思考停止からは何も生まれないのです。

それぞれの人々がそれぞれの組織で参加する「会議」のあり方を見直してみませんか。そして、できるだけ「意味のある」「生産的な」ものへと、会議を変貌させてみませんか。そういった取り組みをみんなでやってみて、それでも改善されない会議ならば、さっさと席を蹴り退場すればいいんです。そんなくだらない会議なら、出席しているだけでも機会費用が浪費します。

ちなみに「つまらない会議」と「くだらない講話」には金輪際付き合わない…、それが私のモットーです。
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