生徒は「ブロイラー」なのか?
「国語力めきめきラボ」というのを主宰している。
小学4年生から高校生までを相手に「国語を楽しく学ぶ」のがラボのモットーである。
ことばで「地図」を書く。
ことばで「音」を表す。
ことばで「心の内側」を表現する。
「熟語」の意味と成り立ちを考える。
100年前の「日本文学」を音読する。
たとえ読めなくても音読する。
知らない漢字にルビはふらない。
知らない「ことば」に出会ったら・・・
それが映像化するまで理解させる。
「へっつい」は「かまど」のこと。
じゃ、「かまど」ってなんだ?
で、「かまど」を教えて映像化する。
「かまど」は「土間」にある。
じゃ、「土間」ってなんだ?
で、「土間」を教えて映像化する。
そして・・・、
ただひたすらに「音に出して」読む。
子どもの頭は柔らかい。
子どもを見くびってはいけない。
スポンスポンってな感じで、子どもたちは頭に「ことば」を入れ込んでいく。
これらの過程は「暗記」ではない。
「理解」だ。
「ことば」を入れて「理解」する。
それが子どもたちにとっての原初的な学びであることをボクは知った。
だから「暗記」はさせない。
「反復」はする。
だが懲罰的な「反復」はしない。
学びが嫌いになるきっかけは絶対につくらない。
ところで、中学生にとっては定期考査が近くなった。
ある中学生が「社会の勉強の仕方」を教えてくれと言ってきた。
ボクは「やだ」と即答した。
「なんで?」となる。
だから「まず教科書を読みな!」と言ってやった。
そしたら「教科書なんかからは出題されない」と返してきた。
教科書をやらずに何が出題されるんだ?と訊いてみた。
「ワーク」と言った。
「ワーク」とは、つまり「ドリル」のことである。
「ワーク」をやってれば90点は取れると、どうやら先生が言っているらしい。
だから「ワーク」から先に勉強するんだよ・・・、って先生が言っていたらしい。
つまり件の中学生が「社会の勉強の仕方」をボクに尋ねたのは、「そんな勉強でいいのか?」ってことだったんだ。
ボクは中学生に言った。
「ワーク」を先にやる・・・、それは完全におかしい・・・と。
そして改めて「教科書を読みな」と言ってやった。
ちゃんと理解できるまで「読みな」と言ったんだ。
だってたとえ教科書が読めても、本当に理解できてる生徒なんて少数だからね。
そしたら中学生は社会の教科書を読み始めた。
「何やってんの?」とボクは訊いた。
「教科書読んでます」だって。
「黙読」してやがる。
「音読してみな」とふってみた。
そしたら「モソモソ」と読み始めた。
でも読めてない!
文章をまとまりで読めてない!
つまり理解してないってこと。
そんな状態で「ワーク」をやれってか?
ただテストで点数が取れればそれでOKなのか?
世の先生方に問う。
それが「学ぶ」ってことなのか?
子どもたちを促成栽培させていち早く受験市場に出荷しようって魂胆なのか?
「ワーク」なんていう餌を与え続けるだけで勉強したような気にさせてるだけじゃないのか?
そもそも先生方は自身の知恵と努力で定期考査の問題を作ってるのか?
「ワーク」から出題するだけで、生徒との間に勉強に対する妙な合意形成を構築してはいないか?
生徒は、子どもたちはブロイラーなんかじゃないぞ!
手塩をかけて育て上げる・・・、それが教育ってもんでしょ!
先生の矜持を忘れないでください!
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