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公立学校の「底力」。

SGHって聞いたことはないだろうか?

「スーパーグローバルハイスクール」っていうヤツだ。

「スーパー」で「グローバル」な「ハイスクール」だからね、なんか少し笑っちゃうんだけれども、文科省の肝いりで2002年度から始まった、つまりはエリート養成システムだ。

高校がこれに応募し、審査に通れば、SGHに指定される。

そうすれば各種の補助金がもらえるのだが、本当のところでは、この「SGH指定校」を看板にして、早期に優秀な入学生を確保したい、つまりは体の良いブランドに使いたいというのが、各学校トップの腹の中だろう。

初年度、文科省が振るこの旗の下に142校が集まり、2021年度まで、その取り組みが続いた。

SGHと時を同じくして始まったSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の取り組みも似たようなものである。

で、このSGHにしろSSHにしろ、全国でその指定を受けた高校は、当然のことながら軒並み「地元の有名校」なワケだ。

つまり国や自治体は、これらの取り組みの中で「エリート層」に対する予算や人的資源の注入に積極的に舵を切った。

が、しかしこのエリート層への学校リソースの投入は、どうやら私学の方がより徹底していた。

私学は、例えばIB(国際バカロレア)認定校になるためは、予算を始めとする学校リソースの注入に躊躇はなかった。

結果、エリート層の中の「超エリート層」は、必然的に私学に流れていった。

それに加えて高校授業料無償化の波が私学優位の状況に拍車をかけた。

そんな中、公立(特に都立学校)も周回遅れではあるが、中高一貫校を漸次開校していく。

都立高校初のIB認定校も2年前から募集を始めた。

ボクはかつて「96%の高校生へ」というブログの中で、そのようなエリート偏重に陥る学校(高校)教育を危惧してみせた。

SGHやSSH、それにIB校の取り組みに直接的に関係し、その資源を享受することができる高校生は、どうみても全高校生の4%程度であると見積もったからだ。

つまり、残り96%の高校生に対する物理的・社会的な取り組みが皆無のまま、エリートを養成することばかりに心血を注いでいる事実が気に入らなかったのである。

ところが、ボクがそんな教育行政に対する「毒」を吐きまくっていた10年以上も前から、実は公立(都立)学校は動いていた。

エリート層とは正反対のポジションに固定されていた子どもたちに対する学校リソースの投入が始まったのである。

まず都立高校はエンカレッジスクールを立ち上げた。

これはいわゆる「やり直し学習」を看板にした高校のことである。

様々な理由から「学習に遅れがある」・・・、その結果として進路活動が危うい・・・、そんな子どもたちに具体的な「やり直し」メソッドを提供し、彼らの将来に大人(教員)が積極的にコミットしていく。

これがエンカレッジスクールの醍醐味である。

そして不登校生徒のためにはチャレンジスクールを設置した。

このエンカレッジスクール、チャレンジスクールだけでも、都内には10校を越える高校が指定されている。

それに昼夜間定時制高校も誕生した。

都立「やるじゃん!」と思った。

ちゃんと96%の高校生に向き始めたじゃないか・・・、そう思った。

しかし厳密には上記エンカレッジ・チャレンジの各校のコンセプトに該当する高校生は、やはり甘く見積もっても3~4%程度である。

では、残り92%の高校生には、どのような具体的な学校リソースの投入が期待できるのであろうか?

まさか「進学重点校」などという、中途半端にお茶を濁した程度の看板を中堅校に与えて・・・、ハイ、それで頑張って!・・・、ということはないだろう。

ボクは最近の公立(都立)の動きには好意をもって見守っている者だ。

個人的には、92%の高校には、学習指導はもとより、しっかりとした人格を備えた教員をたくさん配属していただきたい。

それには教員養成にもっと予算を投入しなければならない。

コスパ的に教員が「お得」だと勘違いしていた時代は終わった。

教員は、コスパ的志向でいえば「コスパは最高に悪い」といえる職業のひとつだ。

だからそんな程度の人格は教員には必要がない。

「やりがい」「生きがい」を前面に出して子どもたち(人間)とガッチリ向き合うことができるような人格者を養成していただきたい。

そうすれば残り92%の高校にも、子どもたちの未来を託すことができる「教員」というリソースが満遍なく行き渡るのである。
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