「教職の原点」~ボクの場合~
「教職の原点」~ボクの場合~
高校3年の秋に部活を引退し、それからは父親の仕事を手伝っていた。
つまり今で言う「不登校状態」が続いていた。それも確信的不登校だ。
で、それなりに進学校を自負していた高校の担任はボクを学校に呼び出して説教をする。
「今のままじゃ、世の中で使いものにはならないぞ」と。
でも、そういった説教というのは、高校生にはむしろ逆効果でしかない。
「先生、そんなにボクを大学に行かせたいんですか?」
ボクは薄ら笑いを浮かべながら担任に詰め寄った。
実にイヤな高校生である。
当たり前じゃないか! お前が大学に行けばオレのクラスは大学進学率100%になるんだぞ!
イヤ、先生、それはどうかな?
なんだと?
Fだって、ボクと同じで、今、工事現場で働いてますよ。このままでも食っていけるかなって…、この間も言ってました。
なら、Fはどうでもいい。アイツの目標は「卒業」…、ただそれだけでいい。
けど、お前はダメだ。いいか、受験しろ!
と言われて、ボクは受験などするはずもなかった。
だからその時の説教は完全に担任の空振りだったのである。
が、しかし、ボクは年が明けた春になって現実を目の当たりにする。
突然に父親から言い渡された「クビ」の宣告にボクは初めてうろたえた。
理由は建築現場への再三の遅刻である。
数人の職人を束ねる父親からすれば、ボクの「遅刻」には噴飯ものであったのだろう。
しかし、遅刻を日常としていた…、いや、まるで高校生の特権とでも思っていた傲慢なボクには、そもそも働くことへの土台が備わっていなかったのだ。
で、ほぼ同じ時期に、ほぼ似たような理由で、盟友Fも「お前はいらない!」と工事現場監督から宣告されていた。
ボクたちは途方にくれた。高校卒業後の5月だった。
「使いものになる」ってどういうことなんだ?
そのことを理解することから始めなければならなかった。
そしてひと夏、ボクたちはバイトに明け暮れた。
毎日、バイト後にビール(時効!)と焼き鳥で反省会をした。
ついに結論が出た。
「使いものになるってさ…、やっぱ今のままじゃ、ムリだよな…」
「大学にでも行こうか?」「うん、そうするしかないな…」
ボクとFは、改めて下げたくもない頭を親に下げて「大学に行くこと」を了解してもらった。
入学金だけならなんとかしてやると言われ、ボクはその年の秋から受験勉強を始めてみた。
まったくダメだった。
それはFも同じ。
また作戦会議をした。
「そもそもさぁ~、オレたちは『使いもの』になるために大学に行くわけなんだから…、入れればどこでもいいんじゃないか?」
それがその時の会議の結論だった。
だから、とりあえず「合格しそうな大学」を3校まで受験することにした。
翌年の2月、高校受験の時には感じることがなかった「心からの安堵」を、ボクは大学の合格通知で味わっていた。
そして何だか嬉しくなった。
生意気で傲慢なだけだったボクは、これで少しだけ「使いものになる」人間に近づけたと思った。
思えば、高校の担任は、ボクのそこまでの道程を見据えていたのかもしれない。
で、敢えてボクの本性を試すためにボクを追い込んだのかもしれない。
だとすれば、あの時の担任は「スゴイ!」と今なら思える。
それから4年後に、ボクが教育実習を頼みに高校まで行った時、あの時の担任は、ボクを指さしながら大声で笑った。
「来ると思ってたんだよね…」
教師の懐の深さ、スケールの大きさを感じたことはこの時以外にない。
それが、今のボクの教職に対するすべての原点となっている。
高校3年の秋に部活を引退し、それからは父親の仕事を手伝っていた。
つまり今で言う「不登校状態」が続いていた。それも確信的不登校だ。
で、それなりに進学校を自負していた高校の担任はボクを学校に呼び出して説教をする。
「今のままじゃ、世の中で使いものにはならないぞ」と。
でも、そういった説教というのは、高校生にはむしろ逆効果でしかない。
「先生、そんなにボクを大学に行かせたいんですか?」
ボクは薄ら笑いを浮かべながら担任に詰め寄った。
実にイヤな高校生である。
当たり前じゃないか! お前が大学に行けばオレのクラスは大学進学率100%になるんだぞ!
イヤ、先生、それはどうかな?
なんだと?
Fだって、ボクと同じで、今、工事現場で働いてますよ。このままでも食っていけるかなって…、この間も言ってました。
なら、Fはどうでもいい。アイツの目標は「卒業」…、ただそれだけでいい。
けど、お前はダメだ。いいか、受験しろ!
と言われて、ボクは受験などするはずもなかった。
だからその時の説教は完全に担任の空振りだったのである。
が、しかし、ボクは年が明けた春になって現実を目の当たりにする。
突然に父親から言い渡された「クビ」の宣告にボクは初めてうろたえた。
理由は建築現場への再三の遅刻である。
数人の職人を束ねる父親からすれば、ボクの「遅刻」には噴飯ものであったのだろう。
しかし、遅刻を日常としていた…、いや、まるで高校生の特権とでも思っていた傲慢なボクには、そもそも働くことへの土台が備わっていなかったのだ。
で、ほぼ同じ時期に、ほぼ似たような理由で、盟友Fも「お前はいらない!」と工事現場監督から宣告されていた。
ボクたちは途方にくれた。高校卒業後の5月だった。
「使いものになる」ってどういうことなんだ?
そのことを理解することから始めなければならなかった。
そしてひと夏、ボクたちはバイトに明け暮れた。
毎日、バイト後にビール(時効!)と焼き鳥で反省会をした。
ついに結論が出た。
「使いものになるってさ…、やっぱ今のままじゃ、ムリだよな…」
「大学にでも行こうか?」「うん、そうするしかないな…」
ボクとFは、改めて下げたくもない頭を親に下げて「大学に行くこと」を了解してもらった。
入学金だけならなんとかしてやると言われ、ボクはその年の秋から受験勉強を始めてみた。
まったくダメだった。
それはFも同じ。
また作戦会議をした。
「そもそもさぁ~、オレたちは『使いもの』になるために大学に行くわけなんだから…、入れればどこでもいいんじゃないか?」
それがその時の会議の結論だった。
だから、とりあえず「合格しそうな大学」を3校まで受験することにした。
翌年の2月、高校受験の時には感じることがなかった「心からの安堵」を、ボクは大学の合格通知で味わっていた。
そして何だか嬉しくなった。
生意気で傲慢なだけだったボクは、これで少しだけ「使いものになる」人間に近づけたと思った。
思えば、高校の担任は、ボクのそこまでの道程を見据えていたのかもしれない。
で、敢えてボクの本性を試すためにボクを追い込んだのかもしれない。
だとすれば、あの時の担任は「スゴイ!」と今なら思える。
それから4年後に、ボクが教育実習を頼みに高校まで行った時、あの時の担任は、ボクを指さしながら大声で笑った。
「来ると思ってたんだよね…」
教師の懐の深さ、スケールの大きさを感じたことはこの時以外にない。
それが、今のボクの教職に対するすべての原点となっている。
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