「学び」を破壊させるな!
コロナになってからリモート学習が学校の世界でも日常となった。
特に動画配信授業は、リアル授業の典型的な代替となって、現在でも十分に機能している。
で、このこと自体に問題はない。
ただ驚くのは、そんな学習系動画配信コンテンツの数が、この数年で天文学的に増えたことだ。
もはや子どもの学習は、動画配信だけで完結する。
ホントのことだ。
小学1年生から中学、高校、大学まで、各学年の教科・科目の単元毎に「おもしろい」「わかりやすい」コンテンツが溢れている。
マジメに「学校いらない」「先生いらない」状態で、学年に沿った学びは習得できる。
YouTubeにアップされている、そういった学習系動画をご丁寧にも整理し「お勧め動画」として子どもたちに視聴させている塾もある。
ちなみにそのような塾は「お勧め動画」を視聴させるだけで成立する。
子どもたちが探して辿り着くのではない。予めネットの中から塾が拾い集めた動画を「まとめ」て「お勧めする」のである。
「学校の先生よりわかりやすい」
「この動画だけ視てれば大丈夫」
「定期考査対策もバッチリ!」
などというフレーズで子ども心をくすぐるのだ。
こういった受験産業のコンテンツにホイホイと乗っかってしまう子ども…、これを止めることはできない。
子どもは、常に最小限のエネルギーで学習を済ませようとする…、そういった生き物だからだ。
ただ、そういった子どもたちの周囲にいる大人がそれでは困る。
というか、そういった学びをさせていて、それに疑問すら抱くことができない大人には「学び」がわかっていない。
「お勧め動画配信」専門の塾は、その「しくみ」で儲けている。
居心地の良いスペースに「塾」の看板を掲げて、おしゃれなテーブルにイス、それにPCとヘッドフォンだけを用意すれば、後は子どもたちが勝手に視聴する…、といったモデル(しくみ)だ。
このモデルをボクは否定はしない。
しかし批判なら大いにしよう。
「学び」を破壊させるな!ってね。
子どもの「学び」…、正しくは「学び」に至る過程を、このモデルは完全に破壊している。
そのことに早く大人が気づき、遭難している子どもたちを救出するべきなのに、それをしない。
気がつけば、このモデルが「学び」の定番にだってなり得るだろう。
そのくらい、動画学習コンテンツはネット上に溢れている。
おまけにそのクオリティーも高い。
だから子どもたちが自力でそのコンテンツに辿り着き視聴することをボクは止めない。
けれども(くどいが…)大人がそれを煽っちゃいけない。
「あっ、わかった!」が毀損されるからだ。
動画学習コンテンツは、そのほとんどが「先生の代わり」をしている。
だから忙しい本物の先生よりも時間と手間をかけたコンテンツが多い。
つまり「ホントに丁寧」なのだ。
で、この「丁寧」がいけない。
正しくは「丁寧すぎる」のが問題なのだ。
「あっ、わかった!」と子どもが叫ぶ機会がなくなるからだ。
「あっ、わかった!」には、子ども自身が自力で理解=「わかった!」の領域に到達したときに発露される感情だ。
この感情を体感する時、子どもの脳内はドーパミンで溢れる。
そのドーパミンが達成感となって心を安定させ、今度はセロトニンが幸せな気持ちにさせてくれる。
子どもは、どんな小さな体験からでも「達成感」を得たくてうずうずしている。
それは幼児の行動を見れば誰でも瞬時にわかる。
その幼児の本質を大人になりきるまでの子どもは、間違いなく持ち続けている。
「あっ、わかった!」「できた!」を子どもはみんな欲しているのだ。
でも「丁寧すぎる動画」学習を続けてると、その感覚がおとずれないまま「わかってしまう」のだ。
そう、良かれと思ってリードする先生によって「わかった」に導かれるのである。
これをボクはミスリードと言う。
だから子どもたちは「わかった!」と叫びたくなることもなく、ただ静かに「わかった」状態になるのだ。
そして、世間ではこれを「コスパが良い」と言う…らしい。
冗談じゃない!
ホントにドーパミンで脳内が溢れているのは…、子どもから支持されていると思いたい先生(動画作成者)の方なんじゃないのか?
特に動画配信授業は、リアル授業の典型的な代替となって、現在でも十分に機能している。
で、このこと自体に問題はない。
ただ驚くのは、そんな学習系動画配信コンテンツの数が、この数年で天文学的に増えたことだ。
もはや子どもの学習は、動画配信だけで完結する。
ホントのことだ。
小学1年生から中学、高校、大学まで、各学年の教科・科目の単元毎に「おもしろい」「わかりやすい」コンテンツが溢れている。
マジメに「学校いらない」「先生いらない」状態で、学年に沿った学びは習得できる。
YouTubeにアップされている、そういった学習系動画をご丁寧にも整理し「お勧め動画」として子どもたちに視聴させている塾もある。
ちなみにそのような塾は「お勧め動画」を視聴させるだけで成立する。
子どもたちが探して辿り着くのではない。予めネットの中から塾が拾い集めた動画を「まとめ」て「お勧めする」のである。
「学校の先生よりわかりやすい」
「この動画だけ視てれば大丈夫」
「定期考査対策もバッチリ!」
などというフレーズで子ども心をくすぐるのだ。
こういった受験産業のコンテンツにホイホイと乗っかってしまう子ども…、これを止めることはできない。
子どもは、常に最小限のエネルギーで学習を済ませようとする…、そういった生き物だからだ。
ただ、そういった子どもたちの周囲にいる大人がそれでは困る。
というか、そういった学びをさせていて、それに疑問すら抱くことができない大人には「学び」がわかっていない。
「お勧め動画配信」専門の塾は、その「しくみ」で儲けている。
居心地の良いスペースに「塾」の看板を掲げて、おしゃれなテーブルにイス、それにPCとヘッドフォンだけを用意すれば、後は子どもたちが勝手に視聴する…、といったモデル(しくみ)だ。
このモデルをボクは否定はしない。
しかし批判なら大いにしよう。
「学び」を破壊させるな!ってね。
子どもの「学び」…、正しくは「学び」に至る過程を、このモデルは完全に破壊している。
そのことに早く大人が気づき、遭難している子どもたちを救出するべきなのに、それをしない。
気がつけば、このモデルが「学び」の定番にだってなり得るだろう。
そのくらい、動画学習コンテンツはネット上に溢れている。
おまけにそのクオリティーも高い。
だから子どもたちが自力でそのコンテンツに辿り着き視聴することをボクは止めない。
けれども(くどいが…)大人がそれを煽っちゃいけない。
「あっ、わかった!」が毀損されるからだ。
動画学習コンテンツは、そのほとんどが「先生の代わり」をしている。
だから忙しい本物の先生よりも時間と手間をかけたコンテンツが多い。
つまり「ホントに丁寧」なのだ。
で、この「丁寧」がいけない。
正しくは「丁寧すぎる」のが問題なのだ。
「あっ、わかった!」と子どもが叫ぶ機会がなくなるからだ。
「あっ、わかった!」には、子ども自身が自力で理解=「わかった!」の領域に到達したときに発露される感情だ。
この感情を体感する時、子どもの脳内はドーパミンで溢れる。
そのドーパミンが達成感となって心を安定させ、今度はセロトニンが幸せな気持ちにさせてくれる。
子どもは、どんな小さな体験からでも「達成感」を得たくてうずうずしている。
それは幼児の行動を見れば誰でも瞬時にわかる。
その幼児の本質を大人になりきるまでの子どもは、間違いなく持ち続けている。
「あっ、わかった!」「できた!」を子どもはみんな欲しているのだ。
でも「丁寧すぎる動画」学習を続けてると、その感覚がおとずれないまま「わかってしまう」のだ。
そう、良かれと思ってリードする先生によって「わかった」に導かれるのである。
これをボクはミスリードと言う。
だから子どもたちは「わかった!」と叫びたくなることもなく、ただ静かに「わかった」状態になるのだ。
そして、世間ではこれを「コスパが良い」と言う…らしい。
冗談じゃない!
ホントにドーパミンで脳内が溢れているのは…、子どもから支持されていると思いたい先生(動画作成者)の方なんじゃないのか?
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