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「勉強と学び」…、その「本位」の違い(1)



人間が発明したものの中で「貨幣」というものほど不思議なものはありません。

「貨幣」の役割を簡単に説明するならば「貨幣とは市場における財やサービスを手に入れるための媒体である」となり、中学生レベルのテストでは、これで〇がつくわけです。

ところが高校になると、この「貨幣」は「市場における媒体」であるが故に、市場における「絶対的信頼」が担保されていなければ意味がない…、ということに気がつくはずです。

では「貨幣」…、これを一元的に発行する歴代の政府は、どのようにして「市場の信頼」を獲得してきたのでしょうか?

日本の場合、全国的基準での「貨幣制度」が整ったのは徳川政権下でした。結論から言えば、この徳川政権下における「貨幣」は、「市場における信頼」を完璧に保全された状態で流通していました。だから全国に張り巡らされた流通網と相まって、江戸時代の商業は爆発的に発達していきます。

徳川政権が「鎖国政策」をとっていたということは、現在の歴史では否定されていますが、「4つの港」を通じて海外との限定的な物資と情報の流通(交易とまでは言い難い)があったことを認めれば、徳川時代の270年間のうち、200年間は、ほぼ「準鎖国状態」であったことは事実です。

徳川政権という稀にみる長期政権が、実は「準鎖国状態」の中における「貨幣制度の安定」によってもたらされたということは、あまり知られていないかもしれませんが、どのような理想的な国家も、経済的安定が担保されてこそ実現されるものであるといった「歴史上の不文律」が分かっていれば、その経済的安定の要である「貨幣への信頼」が国家の命運を左右するということも理解できるでしょう。

その点で言えば、徳川政権は実にラッキーな状態で全国政権を獲得します。

前政権の豊臣政権の後期に「佐渡金山」が発見されて、戦国時代に発達した高度な採掘技術により、それまでの歴史では考えられないほどの大量の「金」が手に入ったからです。徳川政権はそれを直轄とし、貨幣鋳造権も独占します。

ちなみに前時代までに西日本では主に2つの銀山(石見銀山・生野銀山)が開発され、日本はなんと世界の銀の3分の1を産出するほどの「銀大国」であったのです。

そこに信じられないほどの「金」ですからねぇ~。

だから当然に徳川政権は、貨幣の信頼を担保するために、この「金・銀」を利用します。東日本では「金貨」、西日本では「銀貨」を流通させ、それぞれの地域で安定的に商業が発達していく基礎を作り上げたのです。なにしろ「貨幣そのものが『金』または『銀』」なのですから…、しかもその「金や銀の質」も厳格に規定しましたから…、もうこれ以上ないほどに「貨幣への信頼」は安定したわけです。

さらに東日本の「金貨」と西日本の「銀貨」を、その時々の「正しい相場によって」交換するための「両替商」も幕府公認で登場します。そう、市場に銀行のようなものが出現することで、貨幣の流れはいよいよ複雑なもの(金融)へと進化していきますが、それでも市場における「貨幣への信頼」は、盤石です。

このような日本と貿易したい!

すでに産業革命によって資本主義を発達させた列強先進国が、その商売の相手として幕末に日本を目指したのは、まさにこのような経済的ポテンシャル(市場、貨幣、流通、平和…)を、当時の日本が既に備えていたからである…、そのように断言してもいいでしょう。

明治期の日本の近代化は、よってその大部分が既に江戸時代の社会的インフラの上で構築されたのだということが理解できるでしょう。

その近代的資本主義社会にとっての最終的到達点は、欧米列強諸国に互するための「貨幣制度改革」にありました。日本が「準鎖国状態」であったため、金や銀でその価値を担保されていた国内貨幣が、国外に流出することを想定していなかった幕府は、開国と同時に、「金や銀」が、ただ正当な商売をしているだけの外国人商人に、あっという間に持っていかれてしまったことに慌てます。

よってその弊害をそのまま受け継いだ明治政府は、なにはともあれ「貨幣制度の改革」に着手して、日本からの「金・銀」=「正貨」の流出を阻止しようとするのです。

そのために日本が列強諸国から学んだ「貨幣安定制度」が「金本位制度」でした。

これは、日本の貨幣のうち「紙幣」(貿易上は為替と呼ぶ)は、「そこに書かれている額面の金といつでも交換することができるからね…」といった条件をつけて、文字通り「紙」であったものに「価値」を与えて、市場(特に国際市場)での信頼を担保しようとするものでした。このような紙幣のことを「兌換紙幣」といいますが、明治政府は、とても頑張って(ということは国内的にはかなりの犠牲を払って…)、この金本位制を日清戦争での賠償金を元手にして実現させます。

しばらくの間は事実上の「銀本位制」でなんとか外国人商人たちの信頼を繋いできていましたが、維新後の30年後になってようやく「金本位制」が実現するのです。そしてこれが当時の世界の一等国としてのステータスでしたから、その後の日本は、貿易が順調に伸び、徐々に資本主義を完成させていくのです。

その後、世界経済は1929年の世界恐慌をきっかけとして劇的に変化していきます。先進国は1930年代に相次いで「金本位制」から離脱していきました。その理由は単純です。「金本位制」では、国家が保有する何十倍~何千倍もの「兌換紙幣」を発行することができます。理論上、すべての兌換紙幣保有者が「いっぺんに金との交換を求めてくる」といったことは、「ないであろう…」といった暢気な前提から「金本位制」が存続していましたが、世界恐慌によって、この「ないであろう…」が実際に起こってしまったのです。

そこで、やっと「金本位制」の限界を悟った先進国は、それをやめて「管理通貨制度」という新たな「貨幣信頼制度」を構築します。

「金」に代わる新たな信頼が、それを管理する「政府」(=実際は中央銀行)へと移行したのです。その考え方自体は実に斬新です。結論から言えば、現在ではほぼすべての国が「管理通貨制度」を採用していますから、その先見性はお見事であると言わざるを得ません。

しかし、当時(1930年代)の先進国といえども「オレが保障するからオレの刷った紙幣(為替)を信頼せよ!」といった、暴力的なメッセージを広めるには無理がありました。なぜならば一応、第一次世界大戦後に、世界平和を実現するべく発足した国際連盟の下で、確かに「もう戦争は起こらないかもしれない…」といった「淡い期待」が世界を覆っていたかもしれませんが、「国連、ヤバいよね…」といった「世界平和に対する懐疑論」も同時に全世界を覆っていたことは間違いないからです。

戦争が起こる可能性がある…、ということは「管理通貨制度」としては致命的です。だって、その「管理をする国家」が戦争によって崩壊してしまう可能性があるからです。

そして、その「戦争するかも…」といったメッセージを国際社会にまき散らしていた国が、日本とドイツだったのです。こうなると「管理通貨制度」どころの話ではなくなってしまいます。

よって先進国は、互いに「管理通貨制度」が機能する範囲のみにおける「限定的経済圏」で貿易を続けていこうとします。これが「ブロック経済」といわれるヤツですね。

日本も結果的にこのブロック経済圏を構築することになります。「円ブロック経済圏」…、それにやや隠し味をつけて「大東亜共栄圏」などというキャッチーなコピーをつけて、アジア全域を日本中心のブロックに作り替えちゃえ!…、という発想です。

で、第二次世界大戦が終了しました。

そしてブロック経済も管理通貨制度も崩壊しました。

じゃぁ、世界の貿易はどうなるの? 貨幣への信頼は何が(誰が)担保してくれるの? という事態となり、そこにアメリカが「ウルトラCの離れ業」で国際通貨を安定させるアイデアを全世界に紹介し、世界もそれを了承します。

その「ウルトラCの離れ業」こそが、「金・ドル本位制」というヤツです。

まず、戦勝国の筆頭であるアメリカが金を大量に保有して、アメリカのみ「金本位制」を復活させる…、よって「ドルはいつでも金と交換することができる」といったメッセージを全世界に広め…、その「ドルと各国の通貨(為替)」を「いつでも交換することができる」といったルールを作ったのです。しかし戦争で疲弊したアメリカ以外の国の経済力は、未だに不安定ですから、ドルとの交換レートがアメリカ以外の国では不利になってしまう…、それを先読みしたアメリカが「じゃぁ、当分の間は交換レートを固定にしてやってもいいよ…」と提案しました。

この時、日本にあてがわれた「ドル・円」の交換レートが「1ドル=360円」というものでした。

なにも、アメリカは親切心からそのような「お節介」をやいたのではありません。アメリカにとっては、戦争で疲弊した先進各国の経済的立ち直りを急がせなければならない重大な理由があったのです。

それがソ連の台頭と、それに伴って勃発した冷戦です。弱り切った先進国が、先進国であるが故に民主主義ですから、その民主主義につけ込んで「合法的な社会主義政権」の確立をソ連が目論んでいたのです。実は、その社会主義国家化の可能性をもっとも孕んでいたのが、戦後の日本でした。

そんな日本に、「1ドル=360円」という固定為替相場制は、とんでもなく魅力的な条件となります。

それは、戦後の日本が経済的に回復して輸出が増えれば増えるほど「ガンガン儲かる」…、ということは輸出にとっては圧倒的有利な「慢性的超円安」という状態を黙っていても日本が手に入れることができるということになったのです。

「円安は輸入に不利では?」という心配は無用でした。輸入の中のトップ品目である「原油」は、アメリカの石油メジャーが、ご親切にもわざわざ石油タンカーを日本経由で航行させて、日本に石油を優先的かつ「安価に」売ってくれていたのですから、もう言うことはありません。

こうして日本は戦後10年目から「高度経済成長期」という夢のような経済的繁栄期を迎えるのです。

アメリカ…様々ですね。

その後、ベトナム戦争の出費(赤字)がかさんで、アメリカは「金・ドル本位制」を維持することができなくなりました。

その段階で「管理通貨制度」が再会されたのです。そして先進国は以前とは違って、バッチリと自国の貨幣(為替)を「管理する能力」を身につけました。

例えば、現在の日本の貨幣(通貨)=(為替)の価値に「不安を抱いている人は世界中でも少数派」です。つまり日本の「円」の価値は驚くほど安定しています。その安定を担保しているのが、日本の政府であり中央銀行(日銀)です。

その日本の経済的安定が、最近になって「やや怪しくなってきた」という声を聞きます。

日本経済への不安は、「円に対する不安」からもたらされます。そして「円に対する不安」は、日本の資本主義の危うさによって引き起こされ、また日本周辺の軍事的不安定によっても引き起こされます。

国家が「何事もなく発展し続ける」ためには、以上のような「気の遠くなるほどの地道な制度」を設計し、その制度の上で「途方もないほどの努力(特に平和の実現)」を続けていくこと…、それを愚直に実践することができる…、そういった国家と国民の上にこそ「真の繁栄」がもたらされるのではないか…、そのように思っています。

以上の話が、どうして「学び」や「勉強」の話へと繋がっていくのか?

次回にご期待ください。

(つづく)

 

 
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