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お父さんは、なぜ「キャンプへ行こう!」と言い出すのか?(10)



「伝道師」としてのお父さん

若い夫婦にとって、そしてその夫婦が授かった子どもたちの存在を介して、夫婦のそれぞれが互いの「恥部」や「急所」を剥き出しにし、もがき続けながらも何とか構築している若き「家族」にとって、「家族構築プロジェクト」という時には過酷を伴う厳しい時間をすでに長時間にもわたって経験している人々は、「家族」という「未知のもの」を構築するという面においては間違いなく先達者であり、その点において若者達は、彼ら先達者の「声」には大いに耳を傾けるべき価値はある。

現代を生きる人々にとって、その「現代」を正確に切り取り、その時代を上手に生き抜くための「知恵」や「情報」、それに「考え方=思想」をいち早く入手し、それに沿った生き方を実践することは、確かに現代社会からの「遭難」を回避することができる必須の手段なのかもしれない。

例えば「現代の家族観」とやらは、前述してきたように、当然の帰結として「核家族」をベースにした「変形核家族」という、特に母方の両親を子育てに意図的にコミットさせたところの「核家族」という形態が、もはや無視することができないくらいの勢いで広まっているという現実に依拠せざるを得ないであろうことは、何となく理解することはできる。

そしてこのことは、「家族の形態は時代と共に変わる」・・・、それに伴って「家族観」も変わる・・・、という社会的事実を柔軟に受け入れながらの「家族の構築」が、実は正解なのであり、決して旧態依然とした、そして日本社会では未だに根強く残っている「儒教的精神性」に裏付けられた「家族(イエ)観」は、理想的な子育てをしようとする特に母親の苦悩とストレスを増幅させるだけのものであるから、それ(伝統的家族観と子育て観)に、敢えて背を向ける勇気も必要なのかもしれない。

しかし忘れてならないのは、時代と共にどんなに家族観や家族の形態が変化したとしても、その「家族の中における母親のポジションは変わらない」という事実である。大家族(直系家族)の中における子育て中の母親の地位は、例えば父母や祖父母のそれには確かに及ばないであろうが、子育てをする、その「子ども」から見れば、紛れもなく母親は、自身の存在を根源的に守り続けてくれる第一義的な主体である。つまり母親の有する「子どもの守護本能」を、子どもは無条件にむさぼり続けることによって「愛着本能」を満たすのであるから、どんな家族形態に変化しようが、母親は家族の主体であり続けなければならず、そのポジションを維持するための遠慮や気遣いは不要・・・、とまではいかないまでも、そのような気苦労からは遠くの地点に、自身の精神を置いたままにしておく・・・、その程度の図々しさは必要かもしれない。

ところで、「(子育てを伴う)家族の主体は母親」という主張に、特に夫(男)の側からの様々な異論が想定されるが、そこは少し待っていただきたい。異論や不快を感じる前に知っていただきたいことがあるからだ。

車寅次郎と黒板五郎・・・、この2人の名前を聞いて「ピン!」ときた人々は、この2人が「日本の家族論」を展開する際に避けて通ることのできない「道標」であり、ある種の「象徴」でもあることを感じ取っている人々である。そしてこれらの人々には、これから論じる「男=夫=父親」の家族における本質的役割を十分に担うことができる可能性があるのではないか・・・、と思う。

車寅次郎は、周知のごとく「男はつらいよ」の主人公であり、日本人であるならばその人となりも含めて知らない人は少ないはずだ。寅さんが生きた時代と社会、それに彼の周りで悲喜こもごもを展開する人々に対する共感性を抱く日本人は実に多いが、逆にその世界を無意識に「嫌悪」する人々も一定数存在することも私は承知している。それゆえに寅さんは、日本人にとっては「ヒーロー」でもあり、実は「アンチヒーロー」にもなり得る二面性をもったキャラクターであると考えている。

寅さんは、例えば資本主義の末端で自身の労働力を切り売りしながら、小さな「幸せ」を求めて必死に生きようともがき続ける「労働者」をあざ笑う。いや、実のところでは、彼ら労働者の求める「小さな幸せ」と、それを求め続けるがために背負わなければならない「本質的な哀しみ」に寅さんはとっくに気づきながらも彼らには共感を寄せているのだ。そしてそんな彼ら(労働者)を束ねる(というか本来的には搾取している側の)タコ社長に対しても、憎まれ口を叩き続けながらではあるが、心根の部分では、その悲哀を理解し共感しているのである。

その共感を前提にしなければ、寅さんの「フーテン性」と「旅」の意味を理解することはできない。

寅さんは、テキ屋を続けながら日本の全国各地を巡り歩き、その旅先で出会った人々との交流を通じて、各地に自身の痕跡を残してゆく。寅さんには、「悩める人」を放ってはおけないとうい性分があり、時には身の丈を遙かに超えた「他人の難題」をも、自身のそれとして抱え入れてしまう。結果、寅さん自身は身も心も、そして時には金銭的にも「ボロボロ」になりながら「悩める人々」の心に「光を点す」のである。そして気がつけば、各地に「寅さんを慕う人々」・・・、つまり寅さん信者が生まれ続けていくのである。

と、何となく個人的に寅さんの魅力を分析するクセがついてしまったのは、いみじくも私が高校生に「歴史」を通じて「人間社会」を教え続けることを使命と感じていた時に、寅さんの存在が「日本の社会を語る上では決して無視することができないほどに日本人の心の奥底にしっかりと染みこんでいるところの存在」であることを、もはや否定することができなくなったからである。そしていつしか歴史上で語り続けなければならない人物(キャラクターではあるが)として、その痕跡を正確に残す資料が必要であるという思いから、「男はつらいよ全48作」のDVDBOXを社会科の予算で購入してもらったという経緯がある。

寅さんを歴史上の「ある特定の時代」を象徴する人物として、歴史の中に正しく埋め込もうと思っいた矢先に、ある書店で突然、私の目に飛び込んできたのが、一冊の本の背表紙であった。

『寅さんとイエス』・・・、私は仰天し、もちろん30秒後には購入していた。

現役のカトリック教会神父である米田彰男という人の真面目な「寅さん本」である。米田氏は、なんと「寅さん」という存在を、キリスト教の神学的知見から分析しようと試みていたのである。そして驚いたことに、私が長年抱き続けていた「寅さんのフーテン性」「寅さんの喜捨性」「寅さんの救済性」は・・・、なんと「イエスそのものである!」と論じていたのだ。もちろん、私の何となくの「寅さん分析」は、この書籍との出会いによって明確な着地点を見いだすことができ、とても嬉しくなったことを覚えている。

寅さんはイエス・・・、となると全てに合点がいく。

「フーテンの寅」に、フーテン、つまりは流れ者であるが故の「汚さ」は微塵もない。むしろ寅さんには、その出立(いでたち)から生き方(特にお金の使い方)に至るまでが、「清潔」を纏っているかのようである。そしてこの部分は(たぶん絶対に)、寅さんの生みの親である山田洋次氏のこだわり(演出)によるものであると思うが、つまり私たちは「美しく『清貧』を纏う寅さん」が、悩める人々の元に留まり、身を削りながら彼らを救済する・・・、その姿に「ヒーロー性」を見る。

寅さんが救済するのは、結局は資本主義に盲目的に突進し続ける社会の中で、その流れに飲み込まれながらも「人間として美しく真面目に生きること」を決してやめない人々である。そんな人々に、寅さんは「寅さんの思い」を語る。その思いは誰かの「思い」ではない。誰からの借り物ではない「寅さんの思い」なのである。そして、この「寅さんの思い」=「寅さんの言葉」が、それを(映画を通じて)聴いている観客に届いた時、人々は初めて「幸福感」を味わい、それぞれの心の深部にその味わった「幸福感」をしまい込む・・・、そして明日からまた現実の社会を生きていこう! となる。つまり寅さんによって届けられた「幸福感」を、人々はそれぞれの「お守り」として懐にいれたまま、過酷とも言える現実を生き抜いて行こうとするのである。だから寅さんは「ヒーロー」であると言える。

が、同時に私たちは気づいてしまう。「寅さんは幸せなの?」って・・・。

資本主義の埒外にあって、物質的、金銭的、精神的な安定を放棄している寅さんには、実は安住する「場所=家=家族」すらない。いや、「とらや」があるじゃないか、「おいちゃん、おばちゃん、妹のさくら」がいるじゃないか・・・、そう思うかもしれないが、実は寅さんは確信的にそのような「身内」からも距離をおいた精神性の中で生きている。一見するとそれら身内に甘えた「駄々っ子」のような振る舞いを見せるが、それでも寅さんには、身内のそれぞれの家族を別次元のものとして認識しているはずだ。つまり寅さんには、真の意味で「気の休まる所」はない。だから「喜捨」と「救済」を続ける寅さんにとっては、傷んだその心の「休息地」として「とらや」は存在するのであり、間違ってもそこが約束された安住の地などではないのである。

そのように考えると、寅さんの生き方は、この先もずっと「幸せ」とは交わらないところで展開されるであろうことを人々は予想することができてしまう。

「他人の問題」には、とことん身を削ってまでもそれを解決しようとするのに、こと「自分の問題」(特に恋愛や結婚)に関しては、常に「先送り」の状態を良しとする・・・、これは現代風に解釈すれば「アドラー心理学」を逆行する行為である。「アドラー心理学」を有り体に言えば、「自己の課題」と「他者の課題」を明確に分離し、「他者の課題」は、当事者である「他者」でしか解決することができないのであるから、それを「自己」の中に取り入れてはいけない・・・、となるのであるから、寅さんの行為は「余計なお世話」以外の何ものでもないと、一刀両断されてしまうのである。

つまり、寅さんは「どうも『幸せ』には届きそうもない生き方をして、しかも他人には『余計なお世話』を焼いてボロボロになってしまいそう」な人生を歩んでいるのであるから、そんな寅さんは、現実社会では上手に生きることができない「社会不適合者」として「アンチヒーロー性」をも有するのである。

熱狂的なトラさんファンには申し訳ないが、この二面性は、恐らくは山田洋次氏が、意図的に埋め込んだ「仕掛け」なのではないかと感じている。さらに氏は、寅さんに二面性を埋め込むことで、現代社会の「生け贄」=「Sacrifice」としての「寅さん」を、人々の心により深く刻むことを意図していたのではないかと勘ぐってしまうのである。

さて、この「ヒーロー」「アンチヒーロー」という二面性を有しているもう1人の国民的キャラクター(であると私は思っている)が、黒板五郎である。「北の国から」という20年以上にもわたって続いたドラマの主人公で、脚本家の倉本聰氏が生みの親である。実家の農家を継ぐのがイヤで都会(東京)に逃げ込み家庭を築くのであるが、何をやってもうまくいかない、つまりはどうしても都会のしくみに馴染むことができないところの「情けなくてダメな父親」が、妻の浮気をきっかけに子どもたちを連れて誰もいなくなった北海道の実家(廃屋)に戻る・・・、その北海道の過酷な自然の中で必死になって子どもたちを守り、育てることで、「本当の家族」「本当の幸せ」って何か? という壮大な問いに戸惑いながらも、徐々に覚醒していく・・・、そういったキャラクターが黒板五郎である。

資本主義の流れから振り落とされて、文字通り「ボロボロ」の状態から「何か」を信じて、そこにひと筋の光を見いだす・・・、これが黒板五郎の原点である。とするならば黒板五郎と車寅次郎は真逆の存在であるともいえる。

親鸞の言う「悪人正機説」に照らした時、五郎はまさに「悪人」そのものである。未だ煩悩の塊の中でもがき苦しみ、けれどもそこからの救済方法を何も知らされていない状態から自己と家族を救済しなければならない・・・、そんな過酷な人生が五郎の前に横たわっている。既に解脱の領域から人々の救済を続ける寅さんの存在を「聖人」と捉えるならば、まさに五郎の存在は「俗人」そのものである。しかしこの「俗人」は、ただ者ではなかった。五郎がひと筋の光を求めて見続けていた「何か」とは、決して既成の思想や哲学、ましてや「宗教」などではなかった。五郎は、なんと「自然」の中に自らの再生を求めたのである。

それは人間の、いや人類の根源に立ち戻り、「真の生き方」を、そして「真の人間コミュニティー」の中から「真の家族」のあり方を求めるづける壮大な挑戦である。しかも完全に着地点を見いだすことすらできないその挑戦の姿を、五郎は幼き息子と娘のためだけに見せ続ける。繰り返すが、その姿を「聖人」のそれとしてではなく、あくまでも煩悩に支配されたままの、つまりは時として「みっともなく、哀れな父親の姿」のままで、子どもたちに見せ続けるのである。そんな哀れともいえる父親の姿を、どこかで「残念」と感じ、「疑問」を抱く子どもたちではあるが、「自然」を前にし、それに格闘する父の姿に「ウソやごまかし」は微塵も感じられない。「自然」は、人間の無力をあざ笑うかのように子どもたちの前にも容赦なく立ちはだかる。その過酷をしのいで、何とか「生」を繋ぎとめてくれる存在・・・、それが父親なんだと理解する、いや、理解せざるを得ない状況の中で、子どもたちは「家族」というものを認識するのである。

ここに私たちは、本来の父親に有する「壮大な役割」というものを感じ取ることができる。自然の中で格闘し、それへの処方を体をもって「家族」に伝えようとした五郎というキャラクターは、この「父親が有する壮大な役割」をあくまでもデフォルメさせた存在にすぎない。現代社会に生きる大多数の私たちにとって、体を張って真摯に立ち向かわねばならないもの・・・、それは高度に肥大化した「人間社会」そのものである。加えて言えば、自然界から完全に切り離されたところの人工的な「人間社会」(人間コミュニティーではない)であり、その人間社会には強力なイデオロギーとしての「資本主義」が組み込まれている。

そのような「自然」にも劣ることのない凶暴性をもった現代の「人間社会」からの過酷を、それでも何とか凌いで私たちは生きていかなければならない。その意味で、五郎の格闘は、他人事ではないのである。煩悩を引きずりながら、それでも「家族」を社会の風雪から守り、正しい領域へと導いていく時に、五郎がそうであったように、世のお父さんもまた「みじめ」で「哀しい」姿を見せなければならないであろう。

よって黒板五郎は、まずは「アンチヒーロー」として登場し、徐々に「五郎の子どもたちの心の中で」・・・、ということはそれを視ている私たちの心の中で「ヒーロー」へと昇華していくという珍しいカタチで二面性を有するキャラクターとなった。

「男はつらいよ」は1969年から、「北の国から」は1981年から制作され、どちらの作品の世界観も90年代までの社会に確実に溶け込んでゆき、今でも日本社会の人口に膾炙しているのであるが、山田洋次氏にしても倉本聰氏にしても、何故に40~50年も前にこのような強烈なキャラクター、しかも「ヒーロ-」であり「アンチヒーロー」でもあるところの二面性を有するキャラクターを世に放ったのであろうか? そのことがずっと気になっていたのであるが、最近になってそのことに対する私なりの解釈がやっとまとまってきた。

車寅次郎と黒板五郎・・・、この2人は「時代を繋ぐ伝道師」である(と私は解釈した)。

現代社会は、人間のあらゆる欲望を実現させるための様々な装置を社会に仕掛けた。人々はその装置の仕様を我先に手に入れるためのあらゆる労苦を厭わずに、最新の生活様式を受け入れ、それが「豊かさ」「幸せ」であることを疑うことのない思考へと教育され続けてきた。そしてその教育的効果は、あらゆるものを「豊かさ」と「幸せ」のために効率的に取捨選択することができる能力を人々に与えた(その行き着いた先が『損得感情型人間』と『コスパ思考型人間』の大量生産である・・・)。その結果、「ふるいモノ」「ふるい考え」は必然的に人々の選択思考からは排除され、「あたらしいモノ」「あたらしい考え」の下でこそ資本主義はより発展する(・・・と、これは事実!)と洗脳されながら、社会を「ダイナミックに」「すべからく」塗り替えてきた。

でも・・・、「ちょっと待てよ!」と叫ぶことも必要だよな・・・、とするデリケートな社会の空気を汲み取ろうとする2人の脚本家が出てきた。社会の急激な取捨選択の流れに乗り続けるだけの人生って危険だ、間違っている! そもそも「ふるいモノ」「ふるい考え」はダメ・・・、というプロパガンダに気圧されて捨ててしまったモノの中にこそ、実は「本当に大切な何か」があったのかもしれないし、たとえそうじゃないとしても「捨てる前に・・・、せめて考える、躊躇する」ことくらいならできたはずだ。なんでそんなに急減に取捨選択する必要があるんだよ! 少しは落ち着いて思考しようぜ!・・・、とする抗いの「声」をすぐにでも社会に届ける必要性を強く感じていた・・・、それが車寅次郎と黒板五郎というキャラクターを輩出させた山田洋次氏と倉本聰氏の動機なのではないか・・・、私はそのように「勝手に」解釈している。

現代社会に繋がるその起点を1955年、つまりは55年体制の誕生によって日本がアメリカと「結婚」した瞬間に求めることができるが、おそらくその論に異論はないであろう。ただし、ここでいう日米の「結婚」とは、日本がアメリカの「正妻」の地位として結婚したのではなく、あくまでも「第二夫人」、あるいは「妾」としての地位を甘んじて受け入れたことによって成立したということは知っておいた方がいい。それでもアメリカは、日本に持参金すら求めず、良き夫として「妻(第二夫人)が浪費することができる程度」の経済的支援を怠らなかった。

実は、この経済的支援こそが「高度経済成長」なのである。学校で、1955年から18年間も続く「高度経済成長」は、日本人のたゆまぬ努力の賜(努力の結晶)と教え込まれてきた御仁には、いささか耳の痛い話ではあるが、間違いなく「高度経済成長」は、アメリカによって仕組まれたものであった。ただ、アメリカが読み違えたのは、その仕掛けの中で、日本人が予想を遙かに超えて力を発揮し、自信を回復してしまったということである。そもそも戦前までの日本の労働力の質がすこぶる高かったことを、アメリカは十分に把握していなかった。日本人を、そして日本の資本主義をみくびっっていたからである。

ただ、この高度経済成長という「作られた超好景気」によって、アメリカは日本人を洗脳することに成功した。それが「物欲をくすぐり続ける」ことによって輩出される「資本主義教」の信者となって、その聖地であるアメリカを「崇め奉る」国民へと、日本人をつくり変えていったのである。

「資本主義教」は、ますます日本人の物欲を刺激し、その先達であるアメリカからあらゆる「文化」や「制度」を流入させて、「アメリカ教」へと進化した。

しかし、1970年代の頃から、その外来文化に侵食された日本社会が音を立てて崩れ始めた。「アメリカ教」によってもたらされた「文化」や「制度」、それに「思想」は、そもそもが荒々しいものである。あらゆるものを「市場原理」と称して競争させ、そこで生き残ったモノこそが「人々がもっとも欲しているモノ」であり、「人々にもっとも売れるモノ」であるとして、「競争原理」と「功利主義」を両輪としながら、日本人は「物欲」をエネルギーとして資本主義を爆走させ続けたのであるが、その結果として「牧歌的日本型コミュニティー」は完全に破壊された。

教育は荒れ、社会も荒れ、人々の心も荒れ果てた。

そんな社会にあって、未だ「繊細な心」を持ち続けていた人々に「寅さん」を布教して回っていたのが車寅次郎であり、やや遅れて、すでに野蛮でグロテスクな様相を色濃くしていた「効率主義型競争社会」からの脱出を図ったのが黒板五郎なのである。

私自身、幼少であったため、日本の資本主義が、それまでの「日本型牧歌的資本主義」をかなぐり捨てて、あくなき競争原理の渦の中で、その最深部に潜り込んでいく様を目の当たりにしたわけではない。それでも私の父の「悲惨」(会社を興し、それが倒産し、また興し、また倒産するという連鎖)が、中学~高校生であった頃の私の至近で展開されていたという経験から、未熟であったため確かに微弱ではあったが、その「ヤバさ」と「不安感」を確かに当時の私も感じていた。

それから40年・・・、今の日本社会はどうか? 今の日本型資本主義はどうか? 新自由主義を掲げたグローバリズム社会の中で、人々は疲れ切ったまま思考が途絶えてしまったようだ。けれども私には感じることができる。これも微弱な感覚ではあるが、この国の40代、30代、20代には、「今のままのしくみでは『幸福」になれない、『幸せ』には届かない」とする「声」が、小さいながらも上がり続けてきている・・・、そのように感じるのである。

若年層(40代より若い世代)には、前述の「日本型牧歌的資本主義」というものと、そのようなシステムの下で人々がどのような生活をし、どのような「家族観」「幸福感」を有していたのかについて知るよしもないだろう。しかしその世界を、そのような思考を伝導する車寅次郎と黒岩五郎がいる。もっとも彼らは、そのような牧歌的資本主義すら誕生する前の、それこそ日本人に流れる普遍的な「社会観」「家族観」「幸福観」・・・、それを見失うな!・・・、そのように言っているような気がするのであるが、いずれにしても、彼らは現代に「過去の遺産」を橋渡しするための伝道師なのである。

話がだいぶ「家族」から逸れてしまった。

母親が「家族の主体」であることに異論があってもいい。しかし同時に、自身の家族に日本社会が過去に有していた「正の遺産」を伝達させることができるのは父親の役割である。というか、父親しかその役を請け負うことはできないはずだ。子育てに邁進するだけ(それでいい!)の母親には「深謀遠慮」は不可能であり、よって未来を予見し、家族を正しい方角へ導き続けることには無理がある。よって夫(=父親)が家族のナビゲーションをに担うのである。そしてその責任はすこぶる重い、と心得るべきである。

だから夫(=父親)は、今さらながら、或いは改めて「歴史」・・・、特に近現代史を学ぶ必要がある。

そして、その延長線上に「クサビの如く存在する」・・・、車寅次郎と黒板五郎の「声」を聴けばいい。

ところで余談ではあるが、「男はつらいよ」と「北の国から」の両作品に、いずれも子役として関わり続けていた俳優がいる。吉岡秀隆である。

車寅次郎の妹(さくら)の息子、つまり寅さんの甥っ子「満男」として、そして黒板五郎の息子「純」として、彼は「寅さん」と「五郎」の両人を深いところで見つめてきた証人である。

いすれこの俳優も、時代を超えた「声」を人々に伝える伝道師としての「キャラクター」を纏う日が来るのであろうか? 「ALWAYS 三丁目の夕日」に登場する「茶川竜之介」にも、そのような魅力はありそうだが、、、どうだろう?

(つづく)

 
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