お父さんは、なぜ「キャンプへ行こう!」と言い出すのか?(7)
「正しい家族」のつくり方(核家族編)
そもそも「家族」と聞いて、その具体的事例をもって想像(イメージ)することができるのは、大抵の人にとっては「親がつくった家族」となる。自身が幼少期から育ち、アイデンティティーを確立させて精神的な自立を果たしたところの「家族」・・・、そのイメージが家族の「原風景」となって人々の精神性の中に埋め込まれているということには異論はないであろう。
結婚を考えて、自身の伴侶となる人物との共同作業としての「家族」の構築は、だから初めのうちは互いの「家族の原風景」からの脱出から始まる。具体的には、それぞれが属していた「家族」のカタチを・・・、少しずつ・・・、意識的に消去しく作業である。それは、それぞれの「家族の原風景」を手探りを続けながらトリミングする・・・、そういったイメージに近いのかもしれない。
しかしながら、最良の方法で「トリミング」を続けていったとて、それぞれの「家族の原風景」が完全に消去されることはないだろう。そして、そういった家族の構築方法は正しいと思うし、何より夫婦それぞれの「実家=原風景」との相性も悪くはない。「現代的な・・・、理想的な『家族』」を構築することに力点を置きすぎた結果として、互いの「実家」が意識的に遠いところの存在となってしまうという状況だけは、後述するが、「子育て」という観点からも避けたいところではある。
首都圏に住んでいる場合、ほとんどの若者が結婚した後の家族の構築を「核家族」でイメージする。それは、それぞれが育った「家族の原風景」が「核家族」であったからである。だが、この「核家族」主流現象は、それが一般化してから未だ50~60年程度しか経過していないという事実を改めて知った方がいい。
戦前の日本が急激に資本主義化を進め、それを支える労働者の集住政策として都市化が浸透した。都市には、資本主義を支える労働者が、より効率的に生産性を上げ続けるための生活資本と社会資本(インフラ)が集約された。その代表的なものが「住宅」であり、「交通」と「学校」である。つまり、都市には労働者が結婚をし、出産・育児を経て、新たなる労働者を再生産する・・・、そういった機能が備わっているのだ。そして、そういった都市が、それまでの日本人庶民には決して経験することのできなかった「均質であり、かつ、ある程度豊かな生活」を労働者に保障していった。
国家管理の下における教育が、全国的に浸透することで子どもたちの知的レベルが(均質にではあるが)徐々に向上するということが、そのまま労働者の質の向上となって国家経済を向上させる。つまり都市に住む「家族」の「子育て」は、社会的教育機関たる「学校」との連携によって「より質の高い労働者」を輩出することに注力していき、そういった「子育て」の行き着く先に「さらに豊かな生活」を担保することで、「子育て」を続ける親が「子どもの幸せを可視化することができる」ようなしくみをつくった。よって人々(国民)は、都市にこそ「本当の幸せ」が存在する・・・、そう思っていた。
「核家族」とは、実はこのような質の高い労働者を、より効率的に輩出し続けるための装置である。それまでの「イエ」から解放されたところの若年夫婦が、その装置に若干の違和感を感じながらも、「土着性」「封建性」を感じさせない新しい「家族のカタチ」を手に入れ、「自由」を謳歌した。そしてその流れは戦後の経済復興期から高度経済成長期に、ついに爆発的な勢いとなる。
けれども、そういった国家の経済成長は、決して「人々の幸せ」を一直線上に結びつけてはいなかった。急激な都市化が様々な社会問題を生み出したからである。「学歴偏重社会」・・・、それを永続的にもたらした「受験競争」・・・、それに反抗するカタチで出現した「子どもの非行問題」・・・、それに対処するための「学校による管理教育」・・・、「不登校」からの「引きこもり」・・・、「いじめ」の多発による「子どもの社会不信とメンタルの崩壊現象」・・・、「離婚」の増加から見える「親世代の本質的な危機」・・・、「過労死」・・・、「うつ」・・・、「貧困」・・・。
そういった現象のすべての責任を「核家族」に転嫁することはできないが、結果論として「核家族」という装置には、そのような問題が社会問題化する以前に、それらを解決するための機能は備わっていなかったことは確かであろう。
つまり、戦後75年を過ぎて・・・、ということは資本主義による経済的成長によってのみ追求しようとしてきた「人々の幸福」に限界を感じ始めたところのこの国の人々は・・・、実は「核家族」の限界にも気づき始めている・・・、そのように私は感じている。決して「核家族」が悪いと言っているのではない。「核家族」で、家族の構成員をそれぞれの「幸福」へと導いていくことが殊更に難しいものになってきたということである。
経済的な安定が「幸福」の前提条件であることに異論はないが、その「安定」を手に入れるのための方法論が、あまりにも画一的にマニュアル化された現代社会にあって、人々はそのような画一化に疑問をもち始めた。ところが現実の社会の表層では、相変わらず、例えば学歴至上主義のような「画一的にマニュアル化された」方法論によって「幸福」を手に入れようとする人々の方が社会の多数で、実際に彼らが「地位」と「富」を独占している。そのように様々な価値観の交錯する社会は、確かに社会の変革期にはあるのだ・・・、と頭では理解することができるのであるが、けれども未だに守旧勢力が社会を牛耳っている現状の中で、敢えて「核家族でいこう!」と宣言することの難しさが顕著に現れている・・・、それが今日の社会なのではないか。
それでも「核家族でいこう!」と覚悟を決めたなら、そのような若き夫婦には深い考察が不可欠となる。つまり夫婦による独自の「家族観」・・・、複雑な選択肢が多い現代社会における家族が、それでも家族の構成員のそれぞれが着実に「幸福」へと導かれる「家族観」を、夫婦のそれぞれが「哲学」を持ち寄って構築しなければならない。そして、その結果もたらされる「家族観」による家族の運営(マネジメント)は、時として世間のトレンドとは真逆の方向に進むこともあり得る。つまり巷に流布する「常識のようなもの」から、「逆張り」したところに自身の家族が放り出されてしまうというリスクをも覚悟しなければならない・・・、そういうことである。
そういった覚悟があって「家族」をつくるのであれば、敢えて「核家族でいこう!」作戦は、ものすごくダイナミックに家族の絆を強めるであろうし、何より夫婦の結束力は強靱なものとなるであろう。その延長線上に「本当の幸せ」が待ち受けているのかもしれないが、間違いなくその道のりは険しい。けれどもそれを実践する価値は「大いにある」と思う。そしてこの作戦を成功に導くためのキーワード・・・、それが「会話」と「議論」である。
ところが、最近は無意識のうちに「核家族」を脱して、「変形核家族」をつくり出している若年夫婦も多くなったと感じている。
ちなみに「核家族」の対義語は「直系家族」である。今でも地方の特に農村地帯に残る日本の、というか全世界的な「家族」の原型である。厳密に言えば、祖父母や父母、そして子ども世代のそれぞれの家族が「直系的にひとつの屋根の下に存在する家族」が「直系家族」であり、その家族の中に、例えば父や母の兄弟や、子ども世代の兄弟の家族をも内包している・・・、そんな大家族は「複合家族」といって、こっちの方が原初的家族に近い。
さて「変形核家族」現象は、本来の「核家族」に「直系家族」の要素の一部分を接続したところの家族であると考えられる。実は、巷間では案外と当たり前の家族形態となってきていて、自身の家族が、このような「変形核家族」であるか否かを計る指標として挙げられるのが、子育てをする「核家族」への祖父母の介入頻度である。特に母方の祖父母、場合によっては姉妹(兄弟ではない!)が子育てに積極的に介入するケースが多いのであるが、この外戚の特に女性勢力による子育てへの介入は、子育ての中核を担う母親(妻)からの要請という側面もあるが、どちらかと言えば「娘の子育てに危機感を察した父母(特に母)」からのアプローチにより実現した現象であることの方が多いようだ。
そのような、いわば「外戚による子育てへの介入」は、昭和の頃まではタブーであった。「イエ制度」が社会の末端にまで浸透し、その名残の中で「核家族」の存在が許されていた時代にあって、子らがつくる「家族」への経済的介入と子育てへの介入は、父方の父母を中心とする内戚の役割であった。もちろん夫が入り婿の場合は、それが逆転するのであるが、いずれにしろ「イエ制度」は厳然と「内戚と外戚」を区別していたのである。よって外戚たる「母方の父母」は、たとえ子どもの家族が「核家族」であったとしても、「部外者」の地位にあり、それ相応の「遠慮」を伴った遠い地点から「娘の家族」を見守っていたのである。
しかし、そのような「イエ制度」の残滓は、昭和の終焉とともにほぼ消滅したと言っていい。よって「外戚父母」が、子育てへの介入、場合によっては経済的介入をグイグイと推し進めている・・・、そしてそれを内戚父母も「事実上受け入れている」状態・・・、それが「変形核家族」であると理解することができる。
けれども、この外戚を中心とする「変形核家族」は、案外と理にかなっている。
日本では、男系による「イエ」という概念が登場し、その「イエ」によって家督が相続され始めたのが、武士が表舞台に出現した中世以降のことである。以来、それが制度化され、その制度はなんと戦前まで続くのであるが、その精神性は、文化面とともについ最近まで受け継がれてきていた・・・、ということは前述した。しかし一方で、中世以前の古代日本における「家族」の概念は、「母系」によって受け継がれてきたという事実を忘れてはならない。
その典型が「妻問婚」という原初的な形態である。この形態は日本を含む一部のアジア地域に見られた婚姻形態(=家族形態)ではあるが、その本質は子育てを含めた「家族」の継承を「母方の一族」で請け負うことにある。つまりそれは「母方の一族=外戚」を中心とした社会が農村社会から貴族社会にまで浸透していた・・・、つまりはそういった形態の方が「何かと都合がよかった」と考えられる時代が相当に長い間続けていたということである。
しかしこの「外戚主導型家族」には、政治的には大問題も孕んでいた。その典型的事例が藤原摂関政治である。つまり藤原氏は、その権力の帰結として、一族の娘を宮中に嫁がせて天皇の子を産ませることで、天皇の外戚の地位を連続して手に入れることができた。そしてそれは当然に「天皇」を藤原ブランド化へと繋がっていく。外戚たる藤原一族の下で育った「天皇」は、何の疑問もなく自らを「権威の象徴」と認め、実質的な政治権力は摂政・関白となった外祖父に全面的に与えたのである。
このような歴史をもつ日本では、であるからこそ武家社会においては「外戚による『家族』への介入」はタブー視されてきた。一部、北条氏による源家将軍家への「外戚介入」や、日野氏による足利将軍家への「外戚介入」という事実もあるが、いずれもそれらの「外戚」を介入させてしまった源家や足利家は、「イエ」の相続という観点からは失敗事例(その時代の政治的混乱)として歴史的には扱われている。恐らくは、外戚支配の典型である「藤原摂関家」の権力掌握手法が、「イエ」の存続に血眼にならざるを得ない武家社会には、「脅威」となって語り継がれていたに違いない。
だが、外戚主導型支配は、一族(家族)への「外戚の介入」は容認しても、決して家督の相続権は認めず、それは堅く「内戚直系」しかも「男系」によって継承された。藤原摂関家にしても、確かに実質的な政治権力は、外戚として天皇を補佐・後見する藤原家が掌握したが、あくまでも「皇位継承権」は、皇室そのもの、つまり「内戚」が受け継いだ。歴代126人の天皇の中には、稀に「女性天皇」が登場するが、それはあくまでも「男系天皇」を継続させるためのピンチヒッターとしての役割にしかなり得ず、よって歴代8人(10代=2人が重祚した)の女性天皇の即位後に、他家との婚姻を結んだ例はない。女性天皇が婚姻によって他家の男子を皇族に招き入れることで、そこから生まれた子どもが天皇になった場合、それは「女系天皇」となり、つまりは皇室の系統が代わる(乗っ取られる)ことを意味するからだ。
このことは現在の「女性天皇容認論」「女系天皇容認論」とも大いに関係してくるものであるが、そもそも「女性天皇」と「女系天皇」をメディアが同列に語っている時点で、皇位の継承という「一大事」を論じる資格はない。
私は皇室に対して特別な思いを抱いている者ではない。どちらかと言えば「ドライ」、そして「クール」に現代の「象徴天皇制」を支持している者ではあるが、それでも日本の皇室が厳格に「男系継承」を守り抜いてきた事実には驚嘆する。そして、今日まで2000年もの間続く「万世一系」による王位継承をもたらした・・・、そのことの「意味」については、それを決して軽んじてはいけないと思っている。日本の皇室(天皇制)は・・・、間違いなく「日本人のアイデンティティーの中核に近い部分」に存在することを、私自身が認めざるを得ないからである。
話を「家族」に戻す。
以上のような歴史的背景から、日本人は多分に「イエ」に縛られながら生きてきた。その精神性は前述したように昭和の時代まで受け継がれていた。戦後に民法が大改正されて「イエ制度」自体が崩壊したといっても、その精神性が社会的に消滅するためには半世紀もの時を必要としたのである。
「イエ制度」は外戚を危険視した。だから「イエ=家族」への外戚の介入はタブー視されてきた。
だがしかし、昭和から平成に変わり、令和の今日に至って、そんなことを考えながら「イエ」の継承に悩み続ける人々は・・・、実は消えいてはいない。旧華族や財閥系一族、それに新興の億万長者にとっては、未だに家督の相続は「一大事」である。しかし現行の民法の下では「男系」からでも「女系」からでも「イエ=家督=財産」を乗っ取ることはいとも簡単なこととなった。一族に嫁に入り、または婿に入ることで子どもをもうけて、順番に、そう、ただ法的に相続させればそれで済む。その合法的乗っ取りを阻止することができる効力・・・、それを「遺言」がもつのであるが、ここまでくれば「サスペンス小説」の世界であり、ほとんどの人が日常を送る世界にはまったく関係のない情報である。
現代の複雑で混沌とした社会の中で、若い夫婦が新たに「家族」をつくり、子育てを伴った日常を安心して営んでいくためには「積極的な外戚の介入」を促すべきである。
なぜ「外戚」か? と訝る向きもあろうが、子どもからみた外戚(特に外祖母」は、母(娘)にとっては「子育て」と「母親業」の極意を何らストレスなく継承することができる唯一の存在であり、何よりも「精神安定剤」としての重要な役割をもった存在となり得るのだ。そしてそのくらい「子育て中の母親」とは、精神的にも不安定な存在であり、しかし残念ながらそのことを直近で生活する夫がリアルタイムで自覚することは稀である。
「マジ、アイツ、信じられない!」「いない方がマシ!」「どんだけマザコンなんだ!」「とにかくイラつく!」・・・、こいうった会話が互いに「子育ての過酷さ」を共有し、共に共感して心を許し始めたママ友ネットワークの中で展開されている。それは互いの「夫に対する評価」としての「ナマの声」ではあるのだが、そんな「低評価夫」の埒外に自分がいると男(夫)は思い込まない方がいい。どんなに自身が子育てにコミットし、妻への気遣いを怠っていない・・・、そう思い込んでいたとしても、子育ての現実はそんな男(夫)の想像を遙かに超えたところで「過酷」を極めているのであるから、男(夫)がどんなに頑張っても100点が与えられることは絶対にない。
それでも「オレの父親ぶりは80点くらいかな?」と暢気に自己評価してしまう・・・、それが男(夫)のバカなところなのであるが、自己評価の80点は、間違いなく子育てを続ける妻(母親)の評価基準では30点以下・・・、そう、赤点なのである。
だからこの際、「外戚(外祖父・外祖母)」に頼ることで、子育てを通じて一時的に「危機」を迎えた夫婦、特に妻(母親)に「安心」と「冷静」、そして何より「休息」を意図的に与えるべきである。そのように柔軟な発想をもって考えられる夫婦であれば、「新米の夫婦」という名の男女は、例えば外祖父や外祖母の「何気ない関係性」から「夫婦の原型」を見ることができるかもしれない。つまり「子育て」という人間の原初的な営みには、それに従事する個々人の個性が明確に現れるのだ。その本来的な「個性」を長年にわたって積み上げ、互いに摺り合わせてきた所に「本当の夫婦のアイデンティティー」が生まれるものである・・・、そのように勝手に思っているのだが・・・、その集大成を自身の親、又は伴侶の親に見ることができるならば、子育てへの「外戚の介入」(もちろん強度のストレスを感じないのであれば「内戚の介入」でもいい)は、むしろ理想的であるといえるのだ。
単に「核家族」と言っても、このような「変形(外戚介入型)核家族」であるならば、子育てを初めとするあらゆる「家族の知恵」が、親から子へと継承される。ただ、この「離れ業」を恒常的に実現するためには、①妻の親世帯が近距離にあること、②妻以外の兄弟・弟妹が少なく親世帯が子育てに余裕をもって介入する体制にあること、③親世帯が経済的に安定していて、物心共に子世帯への援助を厭わないこと、そんな条件が揃う必要がある。その意味で近年の若者が「地元志向」の傾向を強めていることは、ある意味で自然の成り行きなのかもしれない。地元で働き、地元で家庭を持つ・・・、そこに(特に)外戚が自然な状態で介入することができる・・・、そんな生活スタイルを一部の若者は本能的に選び始めた。
しかし、最後に忠告をしなければならない。
「変形核家族」は、確かに現代を生き抜くための自然な「家族のあり方」なのかもしれない。が、そこに潜む「落とし穴」には、予め十分に注意を払っておくことが必要である。
その「落とし穴」とは、妻(母親)が「外戚(外祖父・外祖母)ありきの子育て」にすっかりと埋没し、「妻として、そして母親としての自分」を見失ってしまうことである。母親とは単に「子育てをする」そのためだけに存在するものであってはならない。「子育て」を通じて(確かに理想でしかないのかもしれないが・・・)、自身の人格を育て続ける責任もある。つまり本来的な「自身のアイデンティティー」は「母親としてのアイデンティティー」と結合して、さらに昇華するものであると心得る。そうすることで、結局は「母のアイデンティティー」に支えられたところの「子ども」が「自身のアイデンティティー」へと帰結していくのだ。そこに「父のアイデンティティー」も当然影響を与えるが、父のそれは「本来のアイデンティティー」の延長線上にあり、子どもに「社会性」を届けることが役割となるのであるから、母親との役割が本質的に違う。
つまり「母親のアイデンティティー」が未熟なまま、「外戚にのみ依存した子育て」を続けた場合、母親は「外祖父・外祖母の子ども」としての自分を生き続けることができる。そしてそこには夫(父親)が出る幕はない。けれどもその状態が、実は「楽」で「居心地が良い」と感じてしまうケースが多いように思う。それはおそらく、いや、間違いなく「夫婦による(哲学に基づいた)家族観」が不在の場合であろう。
だから・・・、「夫を『部外者』として放置する」ことは、絶対にするべきではない。
「アイツ、マジ、いらない!」の声を発する前に・・・、そう、妻(母親)にはやるべきことがある。それが「会話」であり「議論」なのである。
そういった途方もなく「疲れる」、そして「無意味」とも思えるほどの行為に、夫婦が共にエネルギーを費やすことを厭わなければ・・・、改めて言うが・・・、外戚の介入は大いに検討するべきであろう。
(つづく)
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