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新自由主義からの「洞窟おじさん」。



私たちの生活は現在、新自由主義経済の真っ只中にある…、という人(経済学者など)がいます。高校生に経済の基本を教える立場にある私の場合、そういった言質にとてもデリケートに反応してしまうのですが、少なくとも現在の日本は新自由主義経済の考え方だけで国が回っているとは思えません。

そもそも「新自由主義経済」の定義すら曖昧で、一応、メディアなどでは、①市場原理主義への原点回帰、②そのためのあらゆる市場規制の緩和、③自由競争社会の肯定、④その結果生じる経済弱者と経済格差の容認…、そんな感じて「新自由主義」を捉えているようです。

つまり新自由主義で経済が運営された場合、「弱者切り捨て+経済格差」という普通の人々にとってはとんでもなく荒っぽい競争社会が訪れるのではないか…、だから新自由主義は「けしからん!」という論が特に反保守系のメディアを中心に巻き起こります。

そもそも「市場主義への回帰」を最初に実践したのは、日本では中曽根内閣です。当時、仲良くしていたアメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相が新自由主義的政策をバンバン打ち出して、それまで沈んでいた国内経済の回復を(一応)実現させたので、それでは日本も…、という感じで経済政策のひとつの指針として「新自由主義」が導入されたのです。

活発な市場活動を促すために無駄な既成を排除し、その既成の上で胡座をかいて大きくなっただけの行政部門にも容赦のない改革を断行しました。教科書的には国鉄の民営化、電電公社の民営化、専売公社の民営化などが有名ですが、それまで国や地方自治体が運営していた様々な分野が民営化されたことにより、確かに市場メカニズムがそれまでよりも有効に機能し、健全なる資本主義のカタチが見えてきました。そしてその後の自民党政権は、政権の座を何度か危うくされながらも、その精神を小泉内閣に継承し、さらに新自由主義を加速させていきます(とうのがメディアの見立てです)。

その新自由主義的要素を久々に復活させたと言われるのが第二次安倍政権で、その安倍ちゃんの下のアベノミクスで、確かに大企業は大変な利益を得ますが、その利益のおこぼれは庶民にまでは届かないまま、ますます経済格差が広がって人々の社会的分断がいよいよ始まったと、メディアは人々の怨嗟の声を拾って吹聴しています。しかもその方針を菅政権がさらにエンジン全開で推進しようとしているではないか!と、息巻いているのです。

ちなみに私の立ち位置は「保守」でも「リベラル」でもなく、社会科の教員として一応「中道」を宣言していますが、そんなのはすぐに見破られて、たぶん「リベラル保守」的なところにいます。つまり諸々の政策毎にその立場は「保守」にもなり「リベラル」にもなる…、変幻自在な立ち位置です。

そんな暢気でお気楽な立ち位置から、それが仕事上とはいえ、高校生を相手にして「新自由主義ってのはねぇ~」などと偉そうに言っていることの無責任を日頃から痛感している者として、せめて今現在の、私の感じるこの国の真の経済体制を率直に述べてみたいと思います。

率直に言って、現在の日本の経済体制は「新自由主義」ではありません。「弱肉強食」でも実はありません。そのことは高校で「政治・経済」の勉強をじっくりと受けてみればわかります。確かに新自由主義的な考え方…、特に市場を本来の姿に戻そう!とする政権の意図は感じられますが、それは50年以上もの長きにわたってこの国で展開され、そして一定数の支持を受けてきたところの「ケインズ主義」が、あきらかに行き過ぎであろうとする反省からの「市場主義」への回帰ではなかろうかと考えています。

ケインズ主義といえば、真っ先に想像できるのは経済(市場)における「政府の介入」です。政府が市場にどんどん介入して、例えば大規模な財政出動によって(ホントは財政投融資という巨額な原資を出動させて)「公共事業の拡大」を行う。すると人為的に雇用が創設されて、賃金を得た労働者が、自動的に市場では有効需要者となって消費を拡大させるから景気が浮揚する…、そのようなカラクリでケインズ主義は70年代までの世界の経済成長モデルでした。

特に日本人にとって、ケインズ理論と相性が良かった分野が社会保障分野です。ケインズは経済的弱者を全力で救済するための施策を提示します。経済的弱者は、それを放置すれば市場に悪影響を及ぼすからです。具体的には経済的弱者が消費活動を鈍らせ、市場を縮小させますから、資本主義にとっては経済的弱者を野放しにすることはできないと考えたのです。そしてケインズは様々な社会保障政策を政府に実行するように圧力をかけます。

その結果、私たちの社会には「国民皆保険」という制度が創設されました。健康保険は言うに及ばず年金保険にまで「皆保険」を実現させて、国民の生活安定のためのお節介をやくのですが、雇用保険や労災保険、それに介護保険を加えれば、実は私たち国民にはとりあえず生活を続けていくための土台は揃っているのです。

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と、このブログを綴っている合間に「小休憩」を取ろうと思って、ウイスキーを片手に妻が録りためておいたドラマの録画をつい視始めてしまいました。「洞窟おじさん」というドラマです。題名からして人をバカにしているようなそのドラマ(ほとんど実話だそうです)に、ダメです、完全に視入ってしまいました。そして視終わった後、私は己に恥じ入りました。

このブログの続きは、新自由主義という乱暴ともいえる経済政策を実行している(といわれる)現在の日本にあって、それでも社会福祉先進国にも決して劣らない社会保障政策を前提にした、ある意味では恵まれた環境にあるこの国の国民が、しかしながら新自由主義に怯えるのはいかがなものか…、という感じで論を進めようと考えていました。

しかし、そんな私の個人的な経済理論など「洞窟おじさん」の衝撃の前では何の意味もありません。ただ私に少しだけ備わっている(と思っている)社会科学的教養を人々にひけらかすことで、きっと自身の「チンケな自己肯定欲」が満たされることに満足したいから…、という自分の愚かさに「洞窟おじさん」は気づかせてくれました。

ドラマの詳細は述べません。ただ私の綴ろうとした経済なんちゃらなど、「洞窟おじさん」の見てきた世界、人々、生き様に比すれば、実に「どうでもいいこと」に過ぎないのです。

つまり私たちが学んできた、そしてこれからも学び続けようとする学問や知識は、結局のところ人間の実体験には少しも敵わない…、そんなことを痛切に感じます。だから「洞窟おじさん」を視終わった後の私の脳裏に浮かぶ光景は…、私が若かりし頃必死になって、そして汗水たらして働いていた建築現場…、そう、真冬の寒風吹きさらすコンクリート剥き出しの建築現場…、そこが私の原点なんだなってこと…、「洞窟おじさん」は思い知らせてくれました。

だからこれ以上ブログで偉そうに語るのは、今日のところは止めておきます。

スミマセン!
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