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10000人に1人の人材。



民間校長として公立学校の様々な改革を断行し、現在では教育改革実践家を名乗っている藤原和博氏の講演を半年くらい前に聴いたことがあります。氏の主張の中で印象に残ったのは、これからの教育に必要なのは「情報処理型」能力ではなく、「情報編集型」能力である…、ということでした。つまり昭和まで続いていた「みんな一緒」の教育を受けて「みんな一緒」が安心だよね…、という時代はすでに過去のものとなったというのです。

みなを同じ舞台に乗せて(良い意味で)競わせて、「もっとも早く正確に計算できた人」や「誰よりも多く正しい知識を覚えた人」が、情報処理型教育では高い評価を受けるのですが、もうそんな教育ではダメだ…、と言うのです。情報処理の能力を求めるなら、コスト面からも管理面からも明らかに今後はAIが有利となり、人間の入り込む余地はありません。だから「みんな一緒」に情報処理能力を高めるのではなく、(ここからは私の私見にもなりますが…)「みんな別々」の能力を育てて、処理された情報をそれを必要とする人々に的確に届ける(カスタマイズする)ことを第一義的に行えることが重要となる…、だからそういった能力を「情報編集型」能力と呼ぶのです。

なんてことはありません。もっともわかりやすく言えば「オンリーワン」を追求し、自らの周囲には存在し得ない「レアな能力」を獲得することが不可欠であるということです。しかしながら、そういった「オンリーワン」「レアな能力」を見いだし、それらを磨き上げるような教育環境がこの日本には未だ整っていません。だから藤原氏は既存の日本型教育のメリットは残しながらも、大胆な教育改革(特に学校組織改革)が必要だと力説するのです。

(これも私見ですが…)これらの教育改革の肝は何か?と問われれば、それはただ一言…、「付加価値の高い人間を育てる」ということに尽きます。そしてさらに突き詰めれば、付加価値の高い人間とは「付加価値の高い労働者」のことを意味するのですから、結局はかなり遅れをとっている現行の日本の資本主義を再生させるための人材を育てなければ、未来の日本は大いに危うい…、だから教育改革は急務だ…、ということになるのです。

日頃からひねくれたものの考え方をする私でも、藤原氏の提言には賛成するところがたくさんあります。だって日本国民が求める幸福って既存の経済的豊かさが十分に担保された状態での幸福ですよね。であるならば国全体の付加価値(=所得=GDP)を高める必要があり、それを実現するには個人の付加価値(=所得)も高めなければなりません。それができて初めて現行の経済的豊かさを享受することができるわけで、その上で個々人の「心の豊かさ」を追求していく…、そういった考え方の方が多数の理解を得やすいんだと思います。

その点で藤原和博氏は、これからの日本人の「稼ぎ方」に注目しています。時給1000円程度の単純労働(アルバイトや非正規雇用労働)であるならば、(もうとっくにそういった現象は起こっていますが)発展途上国からやってくる外国人労働者によって、それらの職業は完全に代替されるであろうから、日本人は「時給」を高める努力をするべきだ…、と言います。

氏のアイデアはこうです。

まずは特定の分野で「100人に1人」の人材となれ。どんな分野でも真剣に努力し10000時間費やせば、その道のスペシャリストにはなれる…、そう言います。10000時間とは、普通の働き方をして5年分の労働時間のことです。だからまずは5年間は特定の分野に打ち込め…、と。その上で、さらに別の分野に進出(関連分野でもOK)して、さらに「100人に1人」の人材になる…。するとそれはもう「10000人に1人」の人材なんですね。氏はこれを「仕事の掛け算」と言ってましたが、この「10000人に1人」の人材にならば、例えば「時給5000円」を支払う理由にはなりますよね。例えば弁護士や公認会計士の世界がそれです。

「時給5000円」で普通の働き方をした場合、年収は、ほぼ1000万円となります。そしてさらにその上を目指すなら(特に若者には是非とも目指してほしいのですが…)、3つ目の「100人に1人」を作ればいい…。するともうそれは「100万分の1」の存在です。「レア中のレア」な人材となるわけです。

ところで私自身の「レア度」は? と考えた時…、微妙です。確かに教員として37年目ですから、スペシャリストとして「100人に1人」とカウントしてもらってもいいでしょう。2年前に起業して現在は教員の傍らに「教育情報発信や教育コンサルタント」も地道にやってますから、10000時間の原則で言えば、あと3年くらい頑張れば「100人に1人」の存在になるのかもしれません。

ちなみに私の「時給」を計算してみました。そうしたらかつて(定年退職前)の私の時給は、なんと4800円だったんです。しかしこれにはカラクリがあって、50代の後半にもなると役職定年制というのがあり、組織上ではだんだんと閑職に追いやられていくんですね。おまけに教員にはつきものの部活顧問も降りることができますから、退職で辞める4~5年前くらいからは、帰ろうと思えば、ほぼ定時に帰ることができていたのです。つまり年間労働時間2000時間で年収を割っただけの単価、それが4800円だったのです。しかし実際はもっとも忙しかった30代~40代の年収は、当然にそれよりも低く、実質労働時間も3000時間を優に超えていましたから、その頃の「時給」は、ざっと見積もっても1800円くらいなもんです。

長年教員をしていて、ものすごく必要性を感じたのは「カウンセリング能力」でした。私はそれを45歳にして感じ取ったので、それから週末を利用してカウンセラー養成講座を受講し始めました。未だに十分なカウンセリング能力にはなっていませんが、例えばやっとベテランの域に突入するであろう30代後半の教員なんかは、絶対に「カウンセリング」はお勧めです。「ベテラン教員」×「カウンセラー」=「10000人に1人」の人材になれますね。

あまり大きな声では言えませんが、教員にはもっと簡単に「レア度」を増す手段があります。それが「部活」なんです。ほぼ無給(前職場ではなんと月の部活指導手当がたったの4000円)・ボランティアで行っている部活指導ですが、あれってその道のスペシャリストが指導しているケースが多いんですね。つまり放課後の部活指導をしっかりと査定してもらって、本来の教員(=教授)スペシャリスト以外の報酬を得ていても何らおかしくはないんです。手当てなんかで誤魔化されないで、ちゃんと「報酬」として得る…、実はそのくらいの付加価値は十分にあるんです…、部活指導には…。そうすれば簡単に「10000人に1人」のレアな人材となります。そしてたぶん将来はそうなります。私立の高校にそんなスペシャルでレアな教員が出てきますよ。年収1500万円の教員…、夢ではありません。しかし公立の高校や中学では無理です。部活は確実にアウトソーシング化が進むでしょうから、教員×部活指導者としての「レア化」は期待できませんね。

「100人に1人」を掛け合わせていく…、それって案外これからの子どもたちには、そして現行の若い労働者にはわかりやすい「自分のレア化」の公式ですよね。

ただ1つの職場にしがみついているだけでは…、ダメだ、ということです。
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