日比谷の変。
東京都における2019年度の高校入試(今から1年4ヶ月前)で珍事が発生しました。世間ではあまり広く知られていませんが、ネット界隈ではその珍事(現象)の賛否をめぐって意見が対立し、今ではその影響(現象)は、今後他県にも及ぶのではないか…、とする憶測を招いています。
都立高校の名門、日比谷高校の一般入試での募集定員は254名。その定員に対して270名分の合格者を出しました。つまり定員よりも16名増の合格者を出すことにより不測の事態(入学辞退等)に備えた態勢を日比谷高校でもとっていたということです。近年では東大への合格者を50人近くも輩出して人気校となっている日比谷高校ですら「不測の事態」を予想していたのです。
ところが実際に蓋を開けてみると入学辞退者は21名…、なんと日比谷高校は5名分の定員割を経験してしまいました。慌てた高校は初の「二次募集」を行いその不足分の5名を補ったのです。
以上が「日比谷の変」の概要です。「んっ?、それの何がおかしいの?」「単に日比谷高校が入学辞退者の人数を読み間違えた(歩留まりを読み間違えた)だけじゃん!」と思われる方も多いと思いますので公立と私立を絡めた高校入試のカラクリを解説します。
そもそも公立高校へは「合格したら入学しなければならない」とする不文律(暗黙の了解)が全国的に常識化していました。よって私立高校を第1希望とし、その私立からいち早く合格を勝ち取った受験生は、たとえ公立高校の受験にエントリーしていたとしてもその受験を辞退する…、地方によっては受験生の受験票を取り上げる、またはそこまでしなくとも公立の受験日に「自主的に欠席させる」ことで、少しでも公立高校への入学時退者を減らそうとする「工夫?」が、高校受験者を抱え彼らの受験指導を一元的に行っている中学校ぐるみで行われてきていました。
つまり私立高校を第1希望として、そこに合格した受験生には公立高校への受験機会すら与えられないのです。ところが私立高校も公立高校も「どちらも第1希望」「両方に合格してから入学先を決める」という受験生が、当然にいてもおかしくはないわけで…、っていうか、そういった考え方の方が、より健全でリアルだと思うのですが…、それがシステム上はできないカラクリに(ずっ~と)なっていたのです。
「そのシステム…、おかしくない?」「受験生の本来の権利を侵害してない?」とする一部の人々の声があがったのが確か15年ほど前です。そして厳密に言えば、そういったシステムはやはり「おかしい」のです。きっと憲法解釈上(平等権・教育を受ける権利)もよろしくない…。だから「おかしい」を認めた全国の教育委員会は、「公立高校を辞退することはできないわけではない」などとする回りくどい宣言をいかにも消極的に行いました。その宣言がどれだけ消極的なものだったか…、それを証明するにはその後の中学校の受験指導を振り返ってみればすぐにわかります。
高校の入試要項に明文化されてない「公立に合格したら入学しなければならない」という不文律(常識)を、それが「おかしい」と認めておきながら、相変わらず中学校の現場では「公立に合格したら…」が教員によって指導されています。ただ以前とは違い、さすがに文書による保護者への指導はしていないようです。そのかわりに学年毎、クラス毎に複数回にわたって子どもたちにそういった「常識」をすり込んでいく…、そうすることによって「公立高校辞退者=反逆者」を確実に減らしていこうとする…、絶対に公にすることはできない不安定な理論武装の下で、中学校ではゲリラ的な指導を今日でも続けているのです。そう、公立辞退者は「反逆者」なのです!
それでも(公立という体制側にとっての)「反逆者」は時々出現します。しかしその「反逆者」に強い指導や叱責はできません。そもそも理論的に破綻しているのですから、「あぁ、やっちゃったのね…」となり、その事実を県(教育委員会)に報告した中学校の校長は、同時に当該高校(入学辞退をされた高校)に対して陳謝するんだそうです。もちろん第一義的な責任は担任が負わされます。担任の指導不足だ、とうことになるんです。けれども当の担任だって面白くはありません。その怒りの矛先を別のものに(反逆者自体には向けられず…)向けるのです。つまり反逆者を出してしまった担任や学年は下の学年団に対して「これで来年以降、A高校には合格しにくくなった!」と吹聴することで暗に「反逆者」の肩身が狭くなるような仕打ちをします。そして実際に「公立を蹴った」ことにより中学卒業までの間、そして卒業してからも周囲から陰口を言われて「肩身が狭かった」とする証言を私は聞いたことがあります。
と…、ここまで読んでいただいてどう思われますか?
公立高校に合格したら辞退することができない…、この既成事実をなぜ全国の自治体は条例等で明文化しないのでしょう? 前述したようにそれが明文化できないのは法的に問題があるからです。ではなぜ、法的に問題がある「公立に合格したら辞退できない」を未だに強要するのですしょう?
それには2つの理由があると私は考えています。第1に「公立高校は主に税金」で運営されており、年間予算がその地域の議会で厳格に決められているから、年によっての入学者の増減に柔軟に対処することができない…、とする前提を中学の教員レベルでもわかっているため、公立高校の毎年の入学者数を厳格に死守しなければならないとするバイアスが相当な威力で中学校にかかっているから。第2に「高等教育の基本は公立高校が実現しており、あくまでも私立高校はそれを補完する存在にすぎない」とする「公立至上主義」が今日まで健在であるから。
そして私は最近になって「公立に合格したら辞退できない」を強要する第3の理由にたどりつきました。それは「公立高校の入学辞退は『ズルイ行為』であり、そういったズルイ『ヤツラ』を野放しにしておけないとする住民の声が想像以上に大きいものである、つまり中学側の受験指導を積極的に受け入れ、または間接的にその指導にコミットしている人々がたくさんいることで、中学校が使命感を強めているから…、というものです。
「もっと空気読めよ!」っていう同調圧力が、公立高校の辞退者へ浴びせられるのです。
でも、よ~く考えてくださいよ。日本は法治国家ですよね。明文化された「法=ルール」に則って人々の利害が調整されている社会です。再度言いますが、「公立高校の入学辞退禁止」は法律化(明文化)されていません。しかし世間はそういった人々をバッシングする…、そして行政(教育委員会)はそういったバッシングを伴った同調圧力を頼みにして「公立高校の入学辞退禁止」を常態化しようとしています。
これって…、犯罪レベルじゃありませんか? 手段リンチじゃありませんか?
私は自身の主張に重大な過ちはないか…、それを確かめるべく3年前に公立高校を管轄する県の教育委員会に電話しました。「公立高校に合格したらそれを辞退することができないってホントですか?」「えっ? それはどちらからお聞きになったんですか?」「中学校の先生がそう言ってたって、子どもに聞きました」「そうですか。けれどそんなことはありません。それなりの事情があれば辞退することも…、できるのかと…」「それなりの理由って?」「えぇ、何か特別な事情ですね」「では特別な事情がない限り辞退はできないんですか?」「いぇ、そういうことでもないんですが…」
「日比谷の変」…、これを私は日本の高校受験が健全な方向に向かっていく、その試金石になればいい…、そう思っているところの人間です。
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