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悩ましき「泉岳寺」問題。

現在、週に半分、非常勤で勤務している高校から、歩いて15分ほどのところに「泉岳寺」があります。ご存じのように、そこには赤穂浪士(四十七士)とその主君である浅野内匠頭の墓所があります。授業の合間、空き時間が2コマでもあれば、高輪界隈を散策…、泉岳寺に立ち寄ることが何度かありました。

「ご存じのように、そこには赤穂浪士…」と書きましたが、実はこの「赤穂浪士」…、30歳代以前の若者には「ご存じのように…」が通用しないのです。学校の教科書では、かろうじて高校日本史教科書の「欄外」に(老眼では到底見えない大きさの文字で)2~3行ほどの「赤穂事件」の記載があります。江戸期の文化史の本文には竹田出雲作「仮名手本忠臣蔵」が紹介されていますが、「赤穂事件」と「忠臣蔵」の関係性については何ら触れていません。

メディアでも、ここ2~30年間は「忠臣蔵」が注目されることはなかったし、昭和の頃まであんなに人口に膾炙していた「忠臣蔵」も、今では日本人共通の娯楽・教養の座から完全に退いているようです。



私の勤務する高校は、大学付属校でもありますから、生徒の大半は大学への内部進学者です。内部進学といっても、生徒が希望する学部に進学するためには、それなりの成績(内申)が必要ですから、彼らは一生懸命に勉強します。特に定期考査へのモチベーションの高さ、学習集中度は半端ではありません。しかし、それとていわゆる「大学受験勉強」とはだいぶ質の違う勉強です。

大学受験型の学習を生徒の大半は要望していないし、私たち教員もそれを強要することはありません。とすると、そこにはある種、高校生にとっての「理想的な勉強のカタチ」が存在します。彼らの勉強に向かう真面目な姿勢(たとえそれが内部進学のための手段であったとしても…)は、教員が展開する授業に丸ごと支配されている…、別な言い方をすれば、教師がつくる「授業の影響下」に生徒が完全に置かれているということになります。しかしその構図は裏を返せば、教師の授業の「質」が日々問われることにもなり、生徒の授業への「満足度」を簡単に勝ち取ることができないということなんです。

難関大学への進学を標榜する進学校ならば、「受験指導」ができる教師の授業満足度が高いのはいうまでもありません。しかし大学付属校の場合の授業満足度を探るのはかなり難しいことです。教科書に沿った一通りの学習ならば、彼ら高校生は自学自習ができます(今次のコロナ禍でそれは立証されました)。そういった高校生の目をそれこそ「キラキラ」させるような授業を目指したいところなのですが、ことはそう簡単にはいかないのです。だから教師は悩みます。私も大いに悩みました。

で、私なりに結論を出したんです。それは私の実体験に基づいたものなのですが、私はまず授業を作るにあたって次の前提と目標を設定しました。学校の序列や学力に関係なく、①高校生はすべからく「バカ」である。②未だ何も知らない「バカ」を高校生に自覚させる。③その「バカ」は大学生であるうちに解消させる。④「バカ」を大人になっても引きずってはいけない。⑤よって「バカ」につける「薬」を毎時の授業で服用させる。⑥その「薬」を「教養」と呼ぶ。⑦大学生になるまでには「教養」の一部が彼らの血や肉となっているような授業を目指す…、こんな感じです。



私は社会科の教員ですから、生徒に用意することができる「教養」といっても「社会科学」的なものになってしまうのですが、今、私が高校生には絶対に必要だと思われる社会科学的「教養」部門は5つあります。そしてそういった「教養」を身につけることもなく(受験勉強に終始して身につけられなかった、又はそういった「教養」の必要性にすら気づくこともなく)偉そうに有名大学などに在籍するだけで満足している学生を私はたくさん知っています。そういった学生は、だからたとえ東大に在籍していても「バカ」の括りに(私の場合は)入れちゃうんです。

では、社会科学的「教養」の5分野ってなんでしょう。あくまでも私の個人的な見解による5分野ですから、当然そこには突っ込みが入ってもいいのですが、まぁ、付き合ってみてください。

①資本主義と社会主義の本質とカラクリがちゃんと理解できていて、他者に説明できること。②日本における差別の歴史と実態、それに同和問題について理解できていて、他者に説明できること。③75年前の「戦争」を学問や知識としてだけではなく、肌感覚として理解しようとする姿勢があること。④明治期以来150年間の日本の歴史が俯瞰できていて、今日の日本社会が明治期の延長線上に位置することを他者に説明できること。⑤世界における日本人の特異稀な民族性の長所・短所が理解できていて、他者に説明できること。

こういった5分野をさらに分解して日常の授業の中に何気なく潜ませる…、そういったことを意識して私は授業を作っていきます。今年度はコロナの影響で満足に対面授業はできなかったのですが、4月のレポート学習で、上記②の「同和問題」を課し、6月からの授業再開で、さっそく①の「資本主義」の定義を学習しました。



で、問題なのは…、件の「泉岳寺」です。

赤穂浪士、つまり「四十七士の仇討ち」を私の中でなぜ「教養」とカウントするのかについては、それを学ぶことによって上記⑤、つまり日本人の民族的特異性を理解してもらいたいからです。主君に対する「忠義」なるものを命がけで実践した「赤穂浪士」を、たとえそれが人形浄瑠璃や歌舞伎によって過分に脚色されたとはいえ、江戸期以来の日本人は、その「忠義心」を褒め称え、熱狂してきました。

私とて、子どもの頃から毎年のようにリメークされた「忠臣蔵」をテレビドラマで視て育った世代ですから、「赤穂浪士」は身近な存在であり、それを題材として制作された杉田成道監督の映画「最後の忠臣蔵」などは、自身の好きな邦画ベスト3に入るほど「お気に入り」な映画(胸がいっぱいになり、いつでも泣ける映画)なんです。

でも、でもですよ…、この「忠臣蔵」に感動するだけの日本人っていうだけではダメなんです。社会科学的には、感動の先にあるもの…、つまり日本人のアイデンティティーとそのアイデンティティーに裏付けされた日本人の心象風景(状況)を科学的に分析しなければなりません。そういった行い自体が「教養」であると私は考えます。そしてそのような日本人の特異な心象が実は危ういものであること…、つまりは現実として日本人が大好きな「忠義」は、主君への忠義から国家(天皇)への忠義へと昇華させながら「あの戦争」を正当化し、日本人が「熱狂」する対象へと国家によって演出されていったのです。つまり上記の教養5分野の③「戦争」というものの本質が、⑤日本人の民族的特異性を学ぶことによって見えてくるのです。

「赤穂事件」と時をほぼ同じくして(確か10年くらい後になって)、あの「葉隠」(山本常朝著:口述か?)が発刊されています。そのもっとも有名な一節が「武士道と云ふは死ぬことと見付けたり」です。その精神が「忠臣蔵」と共に江戸から明治を駆け巡り、もはや日本人の誰もが(武士ではないのに)武士道を礼賛しました。新渡戸稲造の「武士道」も、そういった観点から日本人の精神性を欧米に正しく紹介した書として有名ですね。

これら「忠臣蔵」「葉隠」「武士道」は、連綿と続く日本人の完全美学として今日にまで(きっと)受け継がれています。しかしそこに潜む日本人の民族的危うさを誰も説こうとはしません。私たちの(ほんの近い)先祖は、簡単に(熱狂の中で)若者を死地に追いやりました。「武士と云ふは死ぬことと見付けたり」をそのまま地でいく精神を若者に国家的に強要したのです。よって若者は「忠義」の名の下に、自らの「死地」を求めて嬉々として戦場に赴いて行ったのです。

その原点が「赤穂浪士」にある(と私は思っています)時、それをたとえ「教養」のためとはいえ、安易に高校生に伝えることだけは避けたいと私は思っています。「泉岳寺」が身近であることもあり、特にそのことに気をつかうのです。

「忠臣蔵」は、それを正しく伝えるには、人々の「熱狂」…、そしてその「熱狂」がもたらす人々の危うさと共に伝えなければならないでしょう。それを肝に銘じます。

 

 

 
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