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政府の緊急経済対策が「トホホ」な理由。



世の中、どうも悲観論ばかりが先行していて気が滅入ってしまいそうです。コロナ禍による政府の経済対策だってそうです。右を見ても左を見ても政府を批判し「ダメだ、こりゃ!」のオンパレードです。

私…、今は暇ですからね。1ヶ月以上も「コロナと政治」をウォッチしているんです。ワイドショーなるものは一切視ません。頭がおかしくなるし、その「ワイド~」にかなり依存したネットニュースだって同じようなものです。だから、せめて61年も付き合ってきた「自分の頭」だけで「コロナと政治」を考えて見ようと思ったのです。

で、ずっと疑問だったのですが、なんで現行の政府は、あんなにもわかりやすい「愚策」を国民に披露したのかってことです。普通の感覚をもっている人だったら誰がどう考えたって発表と同時に国民からの袋叩きにあうことくらいは予想できたはずです。「アベノマスク」に続いての「108兆円」の緊急経済対策ですよね。マスクの方は完全にギャグに思えるし、108兆円にしたって、いわゆる「真水」(新規に国債を発行することで文字通り国が借金をして捻出る資金)といわれる部分は17兆円しかないと言われています。

案の定、メディアやSNS上では政府批判の嵐です。



しかし私は考えました。ここはひとつ「楽観論」で考えてみたのです。

思いっきり楽観的に考えてみた場合…、きっと政府(特に財務省)には、とてつもなく深謀遠慮に長けているグループがあって、その彼らの主張にアベちゃんは完全に心酔している…、国民がなんと言おうが「天下国家」を真剣に考えているのは自分たちだ…、だから国民からの批判にも耐えることができる、いや、今は耐え凌ぐ時期なんだ…、という見立てです。

政府(財務省)は、おそらく今次のコロナ禍は、ある種の「天佑」にもなり得ると考えている…、と大胆に推測します。何が「天佑」か?

かつての日本社会が世界に誇っていた経済的中流階層が、平成以降に分解され、経済的格差はますます拡がっていくばかりの現状を、きっと国は「マズイ!」と思っています。日本の市場構造は、内需によって支えられてきました。この内需が経済的格差による低所得層の出現によって限界に達しています。「内需の拡大無くして経済成長無し」とのスローガンの下、その内需を復活させるためには、やはりかつての分厚い中流階層が必要である…、それを実現することで消費税を初めとする税収は増加に転じ、財政規律が是正されるんだ…。このように財務省は10年以上も前から真面目に考えているんです(と推測します)。



では、格差を縮小させ社会に中流階層を戻すにはどうしたらいいのか?

それには大胆な「所得移転」しか方法はありません。高所得者から低所得者への所得の再分配です。しかし社会主義革命でも起こさない限り、それを政策的に実行することはできません。なぜならば、現行の政権を下から頑強に支えているのが、経済的には上位層…、つまり高所得者層だからです。

現行の日本社会は、経済的上位層にとって都合のいいような設計になっています。自民党以外の野党が停滞している間に、その自民党と一緒になって国家を作り上げてきた保守勢力が経済的上位層を形成しているからなんです。

しかし、実は官僚を初めとする役人達は、その状態を「良し」とは思っていません。ここも思いっきり「官僚性善説」の立場で推測すれば、彼ら役人を支えてきた伝統的美意識は「清貧」です。この清貧思想から見れば、現行の国家とそれに巣くうステークホルダーの群れは、彼らから見れば「醜悪」そのものなんです。

確かに、官僚には「天下り」などが横行し、世間からの批判が集中する理由はあります。それでも本来の役人(官僚)というものには、政治家による権謀術数を駆使した末に論じる「天下国家論」とは次元の違った純粋ピュアな「天下国家論」が先天的に内在しているのではないかとする微塵ほどの期待が私にはあります。



その役人が密かに温め続けていた日本社会の再生計画…、それが「ナチュラル・ベーシックインカム」なんじゃないか…、と、これは私の勝手な妄想で、あくまでもファンタジーですが、知っていただくだけの価値はありそうですよ。

「ナチュラル・ベーシックインカム」っていうのは、あくまでも造語でして、わかりやすく言うならば、(誰が何をしなくても)自然にベーシックインカムが実現しちゃう社会のことです。ベーシックインカムは、既に社会実験も行われているところの政策で、全国民に予め生活を保障するだけの一時金(年金でもいい)を支給することで国民の経済的安全保障を実現しようとする政策のことです。ただしこの理論には、人口が1億人を超える日本のような国には実現不可能であると言われてきました。国の規模が大きすぎて行政の手が回らず平等性が担保されづらいからです。

しかし現行の日本社会には、国民の膨大な「資産」があります。そして諸外国と比べてもその「資産」が、特定の階層に集中している割合は低く、あまねく国民が「ある程度」の資産を有しているところの非常に希有な社会となっています。そこにナチュラル・ベーシックインカム実現の前提があります。

今次のコロナ禍では、一時的に所得が激減した世帯に国が経済支援を申し出ました。そしてその割合は全国民の20%程度である…、とする試算があります。5人に1人しか国の支援を受けることができないとして、国民はこれを「愚策」と呼び、全国民への現金一律給付を求めています。

ところが都内から「生活ができない」「アルバイトができない」との理由で、たくさんの学生が一時帰郷をしていることがメディアで報じられたことからもわかるように、この国の若年層には頼るべき「実家」が存在するのです。そしてその実家には高度成長期以降に蓄積が進んだところの「資産」が眠っています。昔と違って少子化が進行していますから、その資産で親が子の生活を保障することくらいは可能です。

国に支援を受けるための行政手続きが複雑で時間がかかる…、という非難もありますが、それってわざと複雑になるように仕向けているんじゃないかと勘ぐってしまいます。つまり、若年層の中の生活困窮者は、かなりの確率で「親を頼る」ことになるわけで、親にもその程度の蓄えと心づもりがある…、だから国は、自然発生的に「実家を頼る若年層」が現れる…、そのタイムラグを意図的に作り出しているのではないか、と私は見立てます(そうでなければあんなわかりやすい「愚策」を発表する理由がわかりません)。



現在の日本社会で年金を受給している人々は全国民の3分の1にのぼります。確認ですが、この人々はコロナ禍にあっても「所得が減った」人々ではありませんね。2ヶ月に一度の定額が給付されているわけで、おまけにその給付額も歴史上最高額であり、また未来にわたってもたぶん最高額を受けています。つまりこの3分の1の人々には、事実上のベーシックインカムが実現しています。

そしてこの(恵まれた?)年金受給者と「実家」の親世代は、ほぼ同世代です。この人々が一生懸命に貯め込んだ「資産」の一部(場合によっては大部分)が相続税の対象になります。だから親世代は、あらゆる手段で「生前贈与」を試みるわけですが、コロナで生活が困窮し、実家を頼ってきた我が子に「今こそ贈与する」べきチャンスなんですね。

センスのいい政治家なら、この「生前贈与」に課す贈与税は非課税とするでしょう。そうすれば一気に「生前贈与」が進むからです。私はこの現象を「自然贈与」と呼びます。こうして「贈与」が進むということは、家族内における所得の再分配が発生するということになります。しかしこの家族内の所得の再分配(生前贈与)は、一度では終了しません。贈与税の非課税部分に限度額が設けられるからです。一遍に贈与しようとする場合は高率の贈与税が課せられますから、親は例えば10年~20年にわたって「贈与」を小出しにします(そうなるように国が仕向けます)。

するとどうでしょう。生活に不安のなくなる若年層世帯が自然に生まれるのです。しかしそれでもそういった個人的セーフティーネットの網に漏れてしまう人々もいるでしょう。困窮が世代間で連鎖する場合は、親からの贈与もクソもありませんからね。そんな時こそ、国が財政出動して現行の生活保護制度を上回る給付を実現すればいいのです。その(生活保護世帯)割合が10%程度に収まれば御の字です。

こうして、元々存在するベーシックインカム(年金受給者)世帯と、「生前贈与」を受け続けながら事実上のベーシックインカムを実現する世帯、それに財政出動による強制的ベーシックインカムを実現する世帯…、このような社会が実現します。

以上が「ナチュラル・ベーシックインカム」という妄想(ファンタジー)の概要です。

が、このような妄想が展開できるのも日本社会だけのことでしょう。「無駄に金持ち」だったところの日本が、そのお金を本当に豊かな社会をつくるために上手に使えばいいんですね。

政府の、そして財務省のみなさんがこの程度の「天下国家」を想定して深謀遠慮を巡らしているならば…、珍しくも敢えて私は政府を支持させていただきます。

 
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