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学校の先生が「おとなしくなった」ホントの理由。



学校の先生に元気がありません。

この「元気がない」ということは、教育現場で教師が本来抱いている「理想の教育」が実践できていないからであると思われます。「先生になりたい!」とする意欲、モチベーションの源泉には、たとえ困難が待ち構えていても、その先に実現するであろう「理想の教育」という景色が常に見え続けていなければならず、その点で言えば、現在の特に若手教員には、そのような景色は、教員に採用されて2~3年後には霧の彼方へと完全に消えていってしまう…、といった現象が起こっているようです。

確かに現在の教育現場は過酷です。その過酷さは様々なメディアやSNS上で、具体的に告発されていますから今さらその詳細を記す必要もないでしょうが、ざっくりとまとめれば、①信じられないほどの膨大な仕事量の多さ、②職場の人間関係の構造的欠陥、③日常化するクレーム処理などへの保護者対応、④仕事における自己決定権の不足、⑤対生徒・児童への極端なデリケート対応…、などとなるでしょうか。

しかし、それでもなお「元気な先生」はたくさんいました。そういった先生が極端に少なくなったと私が実感し始めたのは10年ほど前からのことですが、この「10年ほご前」という時期は、所謂「団塊の世代」に該当する教員が少しずつその職責を終え、教育現場から姿を消していった時期と重なります。

「団塊の世代」という現在70歳代の人々は、良くも悪くもかつての日本の原動力でした。彼らはその人数の多さから、自分たちの声がまとまることで政治や社会に影響を与えることができるということを実感していましたから、様々な政治的・文化的発信を続けることに、ある種の使命感のようなもとをきっと感じていて、後期高齢者へと足を踏み込もうとしている現在でもその存在を無視することはできない勢力となっているのです。

各種の市民団体や文化活動を通じて「団塊の世代」は元気に活躍しています。しかし彼らのその向かう先は一様ではありません。つまり「団塊の世代」の中における「イデオロギーの壁」というのが明確に存在して、その色合いは、彼らの歳がを重ねる(つまり高齢者となる)ごとに強まってきた…、と私には映るのです。具体的には「団塊の世代」には「確信的右翼」から「確信的左翼」までの人々が混在し、その大きな振れ幅の中で概ね「保守層」と「リベラル層」に分類することができるはずです。

若い人々には俄には信じられないかもしれませんが、つまり「団塊の世代」には「ノンポリ=政治的無色」というカテゴリーに該当する人々は極端に少なく、大半の人が自身の政治的信念を構築し、そのための「旗印」をかざしています。彼らが青春を送ってきた「時代」が、それ(旗印をあげろ!)を強要していた(そのような世相だった)からだと考えてもいいでしょう。

よって「団塊の世代」が社会や職場の中心で活躍していた1970年代~2010年代までの期間は、社会にはある種の緊張関係が常に存在していました。つまりあらゆる場面での「保守」と「リベラル」の対立構図(敢えて「保守対革新」という表現は避けます)がそれです。職場では経営側に立脚する「保守層」と労働者側に立脚する「反保守層」が、体制側と反体制側に分かれて互いの主張をぶつけ合いながら、それでもギリギリのラインで合意点を見つけて、かろうじて前進してゆく…、そんな光景が日常だったのです。よって反体制(労働者)側は、当然に労働組合活動に活路を見いだし、少しでも体制側と互角に戦えるような戦闘態勢をとり続けていた…、それが緊張関係の正体です。

その緊張関係の構図は学校という職場にも当然に当てはまりました。いや、実は学校こそがその緊張関係が濃縮された「最前線の現場」だったのです。なぜならば学校の先生は、体制側に言わせれば「いたずらに知識が豊富で理論武装に長けている」ところの労働者ですから、そんな人々(教員組合)との合意点を見つけながら教員の労働環境を構築するということは、必要以上に教員の側に寄り添った内容の労働条件を認め続けるということになっていたわけです。

もうお気づきですね。

かつて「元気な先生」が多かった…、それには間違いなく理由があります。「団塊の世代」の人々が「元気な先生」として働くことができるような職場労働環境を自分たちの力で獲得してきた歴史があったからです。

そんな「団塊の世代」が教育現場から退場し始めて10年が経ちました。現場には「元気な先生」の痕跡はかろうじて残ってはいますが、もちろんかつてのようにそいういった人々が職場の中心にはなり得ません。社会全般における労働組合に対するイメージは、左翼思想が危険視されることと軌を一にして悪化していきました。そしてそれは教員の世界でも同じことです。現在、労働組合への加入率は10%代であるといいます。その存在の良し悪しは別にして、労働組合が体制側のカウンター勢力として、少なくとも経営者や管理職に緊張感を与え、その下でデリケートな労務管理が行われてきたという歴史を知っている者としては、いささか残念な気もします。

特に学校では、組合の勢力が低下し続けた事実と、急激に学校業務が過酷化してきた事実には相関がありそうです。

だから学校には組合が必要だ…、組合の勢力を挽回する必要がある…、そのように主張したいのではありません。あくまでも社会科学的にもとごとを捉えた場合に、歴史上の結果として「団塊の世代」の人々がそうしてきたように、常に体制(権力)の側に(良い意味で)圧力を加え続けることができる「力」を働く者が持ち続けなければ理想の職場には近づけない…、そういうことを言いたいのです。

今、学校では体制側に反抗する人々は完全に少数派です。職場によっては忌み嫌われているかもしれません。それに対して「体制従順派」が主流となって学校の中枢を担っているようです。「なんかヘンだな…」「それっておかしいよな…」という一定数の教員は確かに存在します。しかしそのような人々は例えばSNSの世界でその矛盾を吐露する程度の正義感しか持ち得ず、よって体制側へのメッセンジャーとしては薄弱な存在です。

なぜ、そのようになってしまったのでしょうか?

答えは、そのような人々(体制従順派)を教員として採用し続けているからです。

「臨時的任用教員」というのをご存じでしょうか? 様々な理由から教員採用試験には合格しなかった(または受験しなかった)けれども、教員不足から「臨時的に教員として採用されている人々」のことのことです。公立の制度ですが、この「臨採制度」を使ってこの10年の間にかなりの数の「臨採教員」が輩出されました。そしてそこに採用する側(教育委員会)の明らかな意図が感じられます。つまり「採用試験に合格しなかった」→「それでも教員になりたい」→「特別に面接をする」→「臨採教員を勧める」→「教育現場で特別に有期で働かせてあげる」→「教育委員会(元校長など)の下で採用試験突破の訓練を受ける」→「教員採用試験に晴れて合格する」という流れの中で本採用の教員が生み出されます。

よってそのような制度から教員となった人々には、初めから体制側に組み込まれているとする精神的ハンデが存在し、一労働者としての立場や権利に目覚めることもなく体制への滅私奉公が無意識のうちに植え込まれるのです。

そしてこの手法を私立の経営者も上手に使います。つまり私立の場合は、初めから正規教員(専任教諭)として採用することはあまりなく、最初のうちは常勤講師や非常勤講師として採用(1年契約)をし、その実力とキャリアを見込んでからの正規採用という手順を取ります。つまり2~3年はじっくりと教員を品定めすることができるわけであり、それが教員としての資質を見極めるだけには留まらず、「体制側に従順であるか…」を見極める手段として当たり前のように横行していますから、当然に教員として生計を立てて一人前になろうとする人々(講師陣)は、自動的に体制従順派にならざるを得ない…、それが現状なんです。

これでは純粋に理想に燃えて、その世界で活躍するための職場を構築しながら、だから「元気な先生」でいられる…、そんな教員が現れるわけがありませんよね。

ただ、このような閉塞的な教員の世界でも「小さな抵抗」を続けようとしている人々の出てきました。それは公立にしろ私立にしろ、「敢えて本採用」にこだわらず「非常勤講師」で教員を続けていこうとする人々です。この人々はなにしろ「授業力」だけを武器にして学校を渡り歩きますから、そのスキルアップには余念がありません。そして煩わしい学校の雑務や人間関係、なんといっても理想の授業(=教育)だけを追求して教員であろうとする人々です。

現実問題として「非常勤講師」だけでは生活は不安定ですから、そのような教員には安定的な「副業」が必要となるでしょう。しかしながら、私にはそういった教員がこれからの学校では主流になっていくと考えています。体制から精神的に独立したところのフリーランス教員…、だけれどもそのスキルには他者を圧倒するほどのものがある…、このような教員に高額年俸を提案してでも獲得しようとする動きが…、残念ながら…、まだありませんが…。

 
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