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「自分の頭で考えろ!」と担任は言い続けた。

うだるような暑さの8月が今年もやってきました。

この8月というのを日本人はずっと特別な思いで過ごしてきた・・・、つまりは6日の広島、9日の長崎、15日の終戦(敗戦)という戦争の大きな傷を私たち日本人は決して忘れてはならないものとして生きてきました。そしてその記憶は、家庭では親から子へ、学校では教師から生徒へ、地域では古老から若者へと脈々と受け継がれ・・・てきたはずでしたが、そんな伝統も2000年代に入った頃から急激に廃れていったような気がします。

メディアは確かに8月になれば判で押したように「戦争」を伝えます。しかしおそらくは紙面を構成する、または番組制作者の中に正確に「戦争」を伝えることのできる人材がいなくなったのでしょう。どのメディアもその伝え方は実に消極的です。有り体に言えば「つまらない」・・・、つまりはメディアによるアリバイ作りとしての「戦争もの」が、ただ単に紙面や番組の企画としてタレ流されているに過ぎないと思うのです。

でも、それも仕方のないことだとは思います。だって戦後76年目ですからね。そもそも70年以上にもわたって日本人の心象(ある種のコンプレックスと言っていいと思うが、私はそのこと自体を肯定的に捉えている)を形作ってしまうほどの「あの戦争」をよくも長い間語り続けてきたものだ・・・、とうのが私の率直な気持ちです。

だから今の若者に、日本史の大きな岐路であったところの「あの戦争」を正しく伝えることの方が実は難しいことなのです。例えば今の若者にとっての戦争は70年以上も前の出来事(完全に歴史)です。で、私が若者であった時からの70年前とは、なんと日露戦争~第一次世界大戦なんですから、その頃の日本人の心象を理解しろ、ということの方が無理があります。

ただ年代的に私たち(60歳代)には、ある種の責任というものがあって、それは私たち世代が、戦争というものに直接的に携わってきた人々の下で躾を受け、教育を受けてきた・・・、だから肌感覚で「あの戦争」を疑似体験している最後の世代であるという思いからくる責任です。

私の高校時代の担任には、左の頬に大きな傷跡が残っていました。それがために人相も悪く、ついでに口も悪い・・・、そんな印象しか持ち得なかったのですが、その担任は教員になる前の4年間を兵役により中国戦線で過ごしたといいます。左頬の傷は、その戦線で受けた銃弾の痕であると世界史の授業で告白したことを覚えています。そして担任は常々ことある毎に左頬をさすりながら私たち生徒に向かってこう言うのです。

「あのクソみたいな戦争のおかげでオレの青春は台無しだ」「なんであんな戦争をしちまったのかオレには分からなかった。けどな今ならわかるぞ」「いいかお前ら青春を無駄にするな」「『自分の頭で考えろ』・・・、人間、管理されたら終わりだ。決して管理される側の人間にはなるな」と。

その時は、たぶん私たちの心に担任の声はあまり響いてはいなかったのかも知れません。戦争の愚痴を語る大人なら、私たちの周囲にはたくさんいましたから、担任もそういった大人の1人でしかないと思っていたのでしょう。

それでも何十年間か経った今でも、あの時の担任の言葉が耳に残ります。そのフレーズは2つ。「あのクソみたいな戦争」、それに「自分の頭で考えろ」です。もうとっくに死んでしまったと聞いている担任ですが、出来の悪い生徒の1人であった私にもちゃんと自身の言葉で生々しく「戦争」を伝えてくれていたんだってことを改めて思わされる・・・、そんな最後の年代が私たちなのです。

だから私にとって「戦争」を考えるということは、「あのクソみたいな戦争」から思考が始まるのであり、そんな「クソみたいな戦争」に2度と若者の青春が無駄に浪費されないためにも「自分の頭で考えろ」というところに帰結する・・・、そんな構造に支配されているのです。

教科書でしかわからない子どもたち(生徒)に、少しでも「あの戦争」と「あの戦争に生きた人々の生の声」を、たとえ細い糸ではあっても今日に伝えることができれば・・・、そう思って私は今でも教壇に立っています。

「自分の頭で考える」ことを自身に言い聞かせてきたこともあってか、たぶん私は必要以上に世間には流されない人間となっています。そしてなにより人が人を管理する社会を危険視しています。もしも私の意に反して、私を不当に管理、支配しようとする権力には敢然と立ち向かう・・・、そんな生き方をしています。それは「あのクソみたいな戦争」もとい「クソみたいな人生」を送りたくないからなんだってこと・・・、どうかご理解ください。

ちなみにO先生には、校内でも有名なほど仲のいい同僚がいました。その先生も帰還兵で、私たち高校生に多大な影響を与えた御仁です。そのY先生の話は次回のブログに綴ります。

いまさらですが、担任であったO先生のご冥福をお祈りいたします。
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