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壊れたオジサンの「生き様」。



齢(よわい)60を過ぎると、どうしても自身を取り巻く周囲の高齢者に注目してしまう自分がいます。どのような歳のとり方をしていくべきなのか…、どのようになってしまうのか…、街中や電車の中の高齢者を観察しては、やや恐怖にも近い感情を抱くのです。

80を超えても「シャンと生きる」ことを目標とはしていますが、自分が「シャン」としているつもりでも、その姿が周囲には「ショボイ」ものに映ってしまうのなら、それは完全に老化に負けたことを意味するのであり、少なくともそうはなりたくない…、「一個の人格ある人間」として終生を迎えたいと願うのです。

先日、私が授業で付き合っている高校生に尋ねました。確か「認識論」を学習している時だったと思うのですが、「みんなは私のことをどのような人間であると認識しているか?」を質問したのです。すると複数の生徒から「楽しそうに生きている人」「元気なオジサン」などという実に嬉しい声を返してくれたのです。もちろんそこには60過ぎのオジサンへの優しい気遣いがあり、対面授業であるがゆえ、決してネガティブな発言はできない…、という暗黙の了解が存在していたことは間違いないのですから、生徒の発言を鵜呑みにすることはできません。それでも私は、今、確かに「楽しい」し「元気」です。その心境が今の私の姿として生徒に映っている(少なくとも生徒はそう認識している)ということがわかるだけでも、私は安堵するのです。

つまり、自分の「生き方」と、その生き様の「見え方」が一致している…、そういうところにズレがない状態をどれだけ保っていられるかがポイントなんですね。

週に3日、私は1限の授業に間に合わせるために自宅を6時に出ます。そして7時半には職場への最寄り駅に着いて、駅前のカフェでコーヒーを飲みます。同じ時間に同じカフェに入るとかなりの確率で同じ人々と出会います。皆、朝のルーティンは一緒なんですね。しかしそんな同じ人々とは決して挨拶は交わしません。そりゃそうですよね。朝からそんな交流はいりませんし、それにみんな他人のことなんか眼中にない…、そんな空間であり時間帯です。

それでもその人々の中に1人だけ、「互いに目で挨拶をする」関係性をもったご老人がいます。おそらく80前後のオジサン(世間で言うところの『オジイサン』は、私の立場からすると『オジサン』になるんです)は、いつも同じ身なり(ヨボヨボのシャツ、くたびれたブレザー)で、正直なところとても清潔そうであるとは言えません。それにいつもボソボソと独り言を言ってます。ボソボソ言いながらテーブルの上に古びたノートを開き…、なんと複雑な数式を書いているんです。

そのボソボソを一度隣の席で耳を澄まして聴いてみました。「これがこうなるんだから…、だからこれでいいんだよ」「ほら言っただろ…、お前はだからダメなんだ」…。オジサンの頭の中ではちゃんと会話の相手がいてその人に話しかけているみたいです。しかも数式を示しながら…。片時も休むことなく一心不乱に数式を書いては会話をする(きっと何かを教えているんですね)…、朝のその姿は誰も何も言いませんが、きっとそのカフェの名物になっているんじゃないでしょうか。



私は最初、そのオジサンをどこかでバカにしていました。認知症の一種なのかもしれませんが、壊れたオジサンは、きっと家族にも相手にされず、汚い身なりで毎朝、同じことを同じように繰り返すだけの世間からは隔絶された空間にポツンと存在しています。だれもオジサンには関わろうとはしません。そういった「無視をする」「スルーする」ことが、まるでそのような方々に対する社会的マナーですらあるかのような風潮に私も加担していました。どこかで「人間、あぁなったら終わりだね」と冷徹に見切り、それを冷笑していた自分は、おそらく未だ中年、少なくとも壮年の端くれではあるとタカを括っていたのです。

しかし、私の目に飛び込んできたオジサンの数式が、そんな私に強烈なカウンターパンチを浴びせたんです。「お前に今のオレの何が分かるっていうんだ!」…。あの複雑怪奇な数式は、淀みなくノート一面に流れるように書かれた数式は、少なくともオジサンの頭がフル回転している証です。そしてその頭で、オジサンは誰かに何かを教えている…。おそらくは大学教授か何かであったであろうオジサンは、今でも学んでいる、学び続けている…、そして教えている、教え続けているんです。

この(確かに)壊れているオジサンの現在の生き様が、私に静かな感動と緊張をもたらしました。社会のセーフティーネットに寄りかかっているだけの、そして国の福祉に期待しているだけの、さらにはそんな現状社会にそれでも不満を抱き、文句を言い続けているだけの…、そんなヘタレな老人で溢れかえっているこの国の高齢社会にオジサンの生き様は一石を投じています。

80を過ぎても、90になっても、きっとオジサンの精神は現役のままです。そんなオジサンを私は支持する者です。そんなオジサンになりたいと思う者です。

オジサン、頑張れ! そして、オレ、頑張れ!
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