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メンタル不調の恐ろしさ。



20年近く前に原因不明の「顔面麻痺」が私を襲いました。その原因を求めて1ヶ月近く、いくつもの病院を訪れましたが、確か14件目のクリニックでしたか…、私の「顔面麻痺」の原因が極度のストレスからくるものであることを告げてくれた医師が、私の病名を「うつ」と診断しました。

と、この経験に関しては1年ほど前のブログでも記してありますので、その後の顛末は割愛いたします。が、私と「うつ」との出会いが突然であったこと…、私はいわゆる「うつ」とは無関係であるほどの自信家であったこと…、私にはそもそも「うつ」に陥る心理的プロセスが理解できていなかったこと…、そういったことを経験するにつれ、私の興味は徐々に私たちの「心の領域」へと向かっていきました。

そして、心理学からメンタルヘルスへと学びが深まっていった時、フッとあることに気づきました。それは私の様な鈍感な人間(医師に言わせるとホントは敏感らしいのですが…)ですら「うつ」を患うのですから、世の中の精神的に敏感な人々にとっては、現代社会が与える様々な刺激は、そういった人々にとってはさぞかし過酷なものであろう…、ということです。



「うつ」が世間では未だに受け入れがたい病であった頃(20年前)、私はこの心の病がきっとその後の社会で爆発的に拡がっていくだろうということを予想していました。そして予想は的中しました。私の周囲に「メンタル不調者」が続出したのです。いや、本当は続出したのではなく、そもそもそのような「心の不調」を訴えていた人々が「メンタル不調」「うつ」という疾患の存在を改めて認識し始めたにすぎません。そうしてやっと「メンタル不調」と「うつ」は、現代社会における立派な精神疾患であるという市民権を得るに至ったのです。

「メンタル不調」と「うつ」の境界は実は曖昧です。医師によっては「自律神経失調」からくる「メンタル不調」と見立てる人もいれば、そもそもそういった状態(自律神経失調⇒メンタル不調)こそが「うつ」なんだ…、と断定する医師もいます。つまり、人の心(メンタル)の有り様は、健康な状態から不調な状態までが切れ目のない連続体(スペクトラム)上に存在すると考えられているのです。よってほんの小さなきっかけであっても、人は簡単にメンタル不調に陥る可能性があります。

私の経験上(観察上)、そんなメンタル不調を引き起こす可能性が高い人々というのは、意外にも「メンタル不調」がまるで似合わない人々であったりします。以前の私のような「自信家」の他、周囲に恐怖や圧力を与える「強面」と言われる人々や、やたらと「自尊心」が強く決して周囲に流されない人々など、真面目で几帳面で神経質であるからこそ「メンタル不調」を招いてしまう人々よりも高い確率で、そういった人々にメンタル不調は襲いかかります。



20年近くも「メンタル」と向き合っていると、不思議なことにかつてメンタル不調を経験した人や、これからメンタルがおかしくなるであろう人々にたくさん出会うようになります。で、わかっちゃうんです。メンタルが「危ないな…」と思う人々…、というのが付き合っていくうちに分かるようになっちゃったんです。そういった人々の気質は、外見や日常会話からでは中々うかがい知ることはできません。しかし「表情」…、彼らが周囲に見せる顔の「表情」であらかたメンタルの変調は見抜けます。敢えて言うならば、「魂が抜けたような表情」…、そんな無防備な表情を彼らは一様にしています。

「魂が抜けたような表情」…、この言葉を最近になって知人のFさんから聞く機会がありました。Fさんは元来の努力家で仕事にも熱心でした。若さゆえ、その頑張りと情熱が自身のキャパシティーを遙かに超えてメンタルが悲鳴を挙げていることに見付かぬまま仕事に熱中していたある時期、急激な体調不良に襲われます。Fさんはその得体の知れない体調不良の原因をネットで検索しました(便利な時代ですね)。そして「メンタル不調⇒うつ」に辿り着いたのです。

Fさんは早速最寄りのメンタルクリニックを受診します。その結果、緊急入院と長期の休業が必要であるということでした。そこに至るまでの医師の見立てや処方、今後の治療方針までをFさんから直接聞いた私は、「なるほどいい先生に出会った」と思ったものです。かつて私が14件目にして初めて診断された「うつ」をFさんは早期に自覚することができたのです。そして1ヶ月強の療養期間を経て、本人の強い要望もありFさんは段階的に職場に復帰するようになりました。

「随分と早い展開だな…」と私は思いました(私の時は10ヶ月間の療養でした)が、これもきっと医学の進歩なんだろうと思って、私はFさんを気遣いながらも職場復帰を喜びました。しかしそれから半年後、Fさんの「うつ」は再発します。ちなみに「うつ」には完治はありません。「寛解」といって、その症状が収まっていて日常生活に支障がない状態…、この寛解の状態を確認してから医師は社会復帰を促します。今、思えば、Fさんは「寛解」に至ってなかったんじゃないかな…、と邪推する自分がいます。

慌ててFさんは、かかりつけクリニックの医師にそのことを告げにいきました。ところがそこでFさんは愕然とします。医師が「魂の抜けたような表情」だったというのです。その後、医師そのものが「うつ」にかかりクリニックは閉鎖となることがわかりました。「ミイラ取りがミイラになった」を地で行ったとはまさにこのことです(Fさんは現在、別のクリニックに通っています)。



私は、かつて私に「うつ」であることをキッパリと診断し、現在までメンタル不調を再発させずに見守ってくれている医師(女医)にこう訊いたことがあります。「毎日、何人ものメンタル不調者を診ていて、先生自身がおかしくなるってことないんですか?」と。これは私自身が教員として何人もの生徒や教員仲間の相談に乗っている時に感じた率直な疑問でした。メンタル不調者との会話の中に埋没していると、気づかぬうちに聞き手であるはずの自身のメンタルが不安定になってくるんです。そのことを私などよりも何十倍ものリスクを負っているはずの医師に尋ねたのです。「えぇ、確かに自分のメンタルもおかしくなるわね。…だから本当はちゃんと聞いてないのよ。」「えっ?」「聞いているようにみせかけて本当は聞き流しているだけ。そうじゃないとやっていけない職業なのよ…」

私はその女医の本音の吐露に感動しました。そして「これでこそプロだ!」と感じ入りました。だから、だから…、あの先生(女医)は、いつも明るく接してくれる…、その明るさが私たちをどれだけ救ってきたことか…。

私たちの周囲にはたくさんのメンタル不調者が存在します。そしてメンタル不調の予備軍も含めれば、もう他人事とは言ってられません。しかし現実には「メンタル不調」や「うつ」の本質、そして怖さ、それとの付き合い方…、それらを知っている人は未だ少数でしょう。自身が、あるいは自身の周囲の誰かが深刻な状況に陥って初めて意識すること…、それが「メンタル不調」であり「うつ」なんです。
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