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内申書の威力。



千代田区にある区立麹町中学校という学校が、数年前から注目を集めています。

「学校の『当たり前』をやめた」という著書が同校校長の工藤勇一氏によって出版され、教育界にセンセーションが巻き起こったからです。「学校の当たり前」とは、例えば宿題や固定担任制、頭髪や服装検査、それに定期テスト等のことですが、これを「やめた!」と宣言したのですから、驚かないわけはありません。メディアはこぞって工藤先生を取材し、その影響は今日でも続いています。

しかし、あまり知られてはいないのですが、この千代田区立麹町中学校という学校は、今から50年近く前にもメディアを騒がせた学校として教育界では有名なんです。50年前に、いったい何があったのでしょうか。

1972年、麹町中学を卒業したばかりの16歳の少年が、千代田区と東京都を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしました。この少年の訴訟理由は、すべての高校受験が不合格となったのは、中学校が作成した「内申書」(調査書)の記載事由が問題だったからであり、それがために自身の高校進学が妨害された…、そのことに対する損害賠償請求だったのです。

この場合の内申書とは、中学校が生徒が進学を希望する高校などへ「生徒の性格や成績、行動など」を伝えるための書類のことで、高校によってはその記載内容を重要視するところが少なくありません。特に公立高校の場合、学校によってその割合はまちまちですが、ほぼ1~3割程度を入学選考の際の「内申点」として、試験の点数に加味する…、そういったシステムに(今でも)なっています。



ところで、件の少年の内申書には、その行動歴に「校内で全共闘を名のり、機関誌を発行し、ビラを配布し…」という一文があったようです。当時の全共闘といえば左翼の巣窟…、左翼といえば公権力側の宿敵…、特に左翼は大学や高校を拠点にして学生の間に広まっていたのですが、これに公権力(教育委員会)は、かなり目を尖らせていました。

私事ですが、ちょうど同じ頃に高校受験を控えていた私は、中学3年になって「A高校」という学校(公立)を第1希望とする旨を担任の先生に伝えました。私の求めていた「自由」がとことん追求できる学校のように感じたからです。すると担任は、「おぉ~そうか、あの学校はいい学校だぞ…」と快く私の希望を了承してくれたのですが、数日後、そこに教頭先生が登場してきました。

「キミの学力からすればB高校だって十分に行けるだろ…、なんでA高校なんだ?」と訊かれたので、「A高校に行った方が…、なんか楽しそうだと思ったので…」と返したら、「やめておきなさい、あの学校は今、一部の教員と生徒会が牛耳ってるんだ…、学生運動の真っ只中にあるんだぞ」と言われました。そのことを親に報告したら、父親は「それも面白そうじゃないか、A高校にしろよ」と(たぶん)適当に発言したのですが、母親の方が強烈にB高校を勧めてきたんです。ちなみにB高校はいわゆる進学校として有名で、思想・信条的には「何もない」「無風」な校風でした。

私は、いくぶんA高校への未練を抱えながらもB高校を受験することに決めたのですが、それを知って(たぶん)適当にがっかりしたのは父親…、それに本気でがっかりしていたのが担任の先生でした。聞くところによれば、担任は日教組の地元幹部であったらしく、A高校とも密接な繋がりがあったのだそうです。その先生の名誉のために言っておきますが、先生は一度たりとも私たちに偏った思想・信条を押しつけたことはありません。明るく楽しい、自由な中学時代を過ごせたのは、その先生のおかげであると言っても過言ではなかったのです。



B高校に入学してから、その高校の友人(今では親友となっていますが…)を介して、私はA高校にも2人の友人をもつことができるようになりました。制服も校則もない…、そんなおもいっきり自由なA高校で、その友人たちは実に楽しそうに高校生活を送っていました。B高校での私たち(私と友人)の不遇な状況(2人とも確信的な煩悶期に突入してましたから勉強はもとより学校そのものにあまり行かなくなっていたのです)とはまるで違った世界がそこにはあったのです。正直なところ羨ましかった…。

で、3年後、大学進学を一応考えていた私たち(4人)は、その受験にすべて失敗していました。勉強をしていないのですから仕方がありません。しかし私が初めて(1校目に)受験した大学の面接時、その面接官にこんなことを言われました。「欠席が3年間で199日…、遅刻なんか333回もあるじゃないか…、こんな内申書ではどこも受からないよ…」と。

大学がそんなに内申書を重視するなんてことは、金輪際考えていませんでした(後で気づくのですが、内申を重視する大学とまったく重視しない大学とが存在していたようです)から、もう大学受験は無理だと悟り(早い!)、その後の受験はすべてキャンセルしてしまったのです。

しかしA高校に通っていた2人の友人の場合、その不合格の意味がまるで違っていたのです。2人とも楽しく学校生活を送っていた(だから私たちもたまにA高校にもぐりで通っていたのですが…)のですから、欠席も遅刻も、それにおそらく成績も問題なかったのではないかと思われます。

「なんかさぁ~、この学校ヤバイみたいだよ。オレたちの周り、みんな落ちてるんだけど…、この学校、大学に評判がよくないらしいんだよね…」とA高校の2人は口々に言っています。「学校そのものがマークされてるらしい…」「左翼高校って噂されてるんだってな…」とも言っていました。

当然、ことの真相は不明です。A高校の彼ら自身の不徳の致すところ…、と言ってしまえばそれまでです。しかし、これも大人になってから知るのですが、彼らが受験した大学…、そのすべてがいわゆる「右翼系」「保守系」「愛国系」で名を馳せる大学だったのです。A高校の受験生とそれら大学の受験に何らかの因果関係があったことは否めません。そしてたとえ因果関係があったとしても、私学の場合はそれを問題視する必要もないでしょう。それほど「思想・信条」というものは、それを隠さない限りにおいて、時としてはハンディーキャップにもなり得るんだってこと…、今ならわかります。



さて、話を麹町中学校に戻します。内申書の記載事由を根拠として損害賠償請求訴訟を起こした少年は、第一審では全面的に勝訴したものの、その後の高裁・最高裁の判決では負けています。「内申書のいずれの記載も、思想・信条そのものを記載したものではないことは明らかであり、思想・信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することはできないから、これを違憲であるという原告の主張は、その根拠を欠き、採用できない。」と…、これが最高裁の見解です。

もうお気づきですね。「内申書のいずれの記載も、思想・信条そのものを記載したものではない…」とは笑止千万。人間の「思想・信条」とは、そもそもそれを明確に記載することの方が稀で、しかも難しく、大方の場合は、その人物の人となりを知りたいと思う相手方が、その人物の言動(過去の言動も含む)をもって推察するものであり、私たちの人物評とはそのようにして成り立っているのです。

最高裁は、つまりは「内申書には思想・信条に関する記載が何もない…」ことを根拠に、だから高校入学試験と内申書の記載内容との因果関係を否定していますが、教育、または教育行政に携わっている誰が考えても、「全共闘を名のり、機関誌を発行する」ところの中学生を当時の教育界がノーマークにしておくはずがないのです。内申書に記載される「成績1」や「欠席100日」よりもはるかに重いハンディを、「全共闘」が背負わされていたことは間違いなく、それを憲法19条「思想・良心の自由」には反していないとする最高裁の判断は、だから完全にご都合主義であると言わざるを得ません。

そして今日、私たちの周りでは、この「思想・良心の自由」を簡単に切り売りしようとする人々であふれています。権力者やメディアの論調に揺さぶられて「声の強い側」につく…、つまり常に「勝ち馬」に乗ることだけを考えている…、そんな日和見な人々を私はたくさん見てきました。

人間、遅くとも20代半ばまでには、自身の旗色を鮮明にしておいた方が何かといいようです。そうでなければ、常に「旗色を鮮明に掲げることを鍛えられている」ところの外国人にバカにされちゃいます。

 

 
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