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私が、社会人のための「教養講座」を開講する理由。



社会科の教員を長いことやってますが、前職の学校で20年くらい教科主任として社会科(地歴公民科)を差配してきました。で、教科主任として一番に気をつかうのは、各教員が1年間にわたり担当することになる「授業時間配分」と「授業科目配分」です。

授業時間配分とは、例えば全教員が担当する授業時間の平均が16時間 / 週であるとして、カリキュラムやクラス数の都合で、ある教員には今年度18時間担当してもらわなければならないが、逆に別のある教員には14時間担当を依頼する(平均で16時間となればいいのですから…)こともあるのですが、この不公平感を例えば3年かけて解消していく(16⇒18⇒14)といった程度の気遣いで済みます。

ところが授業科目配分となると話は別なんです。高校の地歴公民科の場合を例にあげると、地歴科では「世界史A・B」「日本史A・B」「地理A・B」があり、公民科には「現代社会」「政治経済」「倫理」がありますが、各教員にはそれぞれの専門があり、学校によってはその専門性を重視して、例えば「世界史しか担当しない教員」というのが存在するんです。しかしこれを認めていたらカリキュラムは十分に消化できません。

つまり私の教科主任の時代には、敢えて「専門科目+1~2科目」の科目を全教員に担当してもらっていました。一応、私の専門科目は日本史ですが、言い出しっぺですからね、私自身が積極的に他の科目を担当することで他の教員にも黙ってしたがっていただきました。ですから年によっては、「日本史+世界史+政治経済」や「日本史+現代社会+倫理」なんて1年間もあるわけです。



しかし、それによって随分と私自身の教科スキルは鍛えられました。仕事をしながらスキルが身につくのですから、考えようによっては専門性を重視した科目配分を続けるよりも、教員としての有用性は格段にアップします。だから、特に若手の教員にはこう言ってました。

「どこの学校に行っても通用するような全方位型(全科目型)の能力を磨いておくべきだ…」と。これからの時代、教員が終身雇用に甘んじて一つの職場にしがみつくことは、あまり得策ではないし、教員の労働市場は、確実に流動的になると考えていたからです。つまりこれからの教員(特に高校)には、個人事業主的な立ち位置が必要であり、その個人事業主(教員)と職場(学校)が対等な関係で有期契約を結びながら、常に有能なる人材を確保する…、そういった時代がすぐ目の前に迫ってきている(というふうに私には感じる)んです。

であるならば、私たち教員は「どこに出ても通用するスキル」を常に獲得しておかねばならず、その場合のスキルとは、例えば社会人教育にも通用する程度に高度なものであらねばなりません。普通の(超進学校の生徒ではなく)中学生や高校生を相手にして、適当にお茶を濁す程度のスキルしか持ち得ないのであるならば、それこそ終身雇用に一生ぶら下がって内向きに教員を続けるしかありません。しかし常に自身のスキルを伸ばしたい…、専門性を高めたい…、そう考えながら(これが普通なのですが)教員をやるんだったら、ハッキリ言って終身雇用という発想からは、教員自身が身を引いた方がよろしい…、そう思います。



私自身、(少しだけ我慢して)定年(60歳)まで勤め続けましたから、曲がりなりにも終身雇用の甘い果実を味わった1人ではあります。しかし65歳まで保障される「再雇用制度」からの誘惑には、これを断固拒否させていただきました。遅ればせながら一部の先進若手教員と一緒に教員として「個人事業主」の道を進んでみたかったからです。自身の社会的スキルがどれだけのもので、自身は社会からどれだけ要請されているのか…、それを身をもって体感したかったからです。

だから今般、私が世間に向かって「社会人のための教養講座(社会)」を開講することにした理由は、そんな(裸一貫の)自分を、社会はどの程度欲しているのか…、これを世に問いたかったからです。社会が私を必要としている、社会から私は必要とされている…、その想いが現在の私のモチベーションを支えています。

しかし同時に、社会が私を必要とする…、つまり社会が私の「高校教員として培ってきた専門性と教養」を本当に必要としているのか…、このことに関しては念入りなるマーケティングが必要でしょう。それでも私は思うのです。かつて私が教え、共に学んだ高校生が…、今、親となり社会の中枢を担っているとして…、そんな中年のオジサン・オバサンが、「そう、高校の時のあの授業…、今、もう一度受けてみたいなぁ~」と改めて思うことはあるんじゃないかって。そしてそれは、決してノスタルジーとかではなく、年齢を重ねてきたからこそしみじみと感じる、「本当に必要な大人としての教養」の重要性に(子をもって初めて)気づくからではないかと考えます。

私が世間に発信することができるのは、「高校生にも理解することができる程度の社会科の一般教養」です。混迷する現代の社会であるからこそ、今、改めて発信しなければならないこと…、それは例えば…、「資本主義のカラクリ」や「社会主義の本当の姿」であったり、「共産主義とは何か」「実存主義と構造主義」「知っておきたい近現代史」…、そんなところでしょうか。

コロナが終息したら、さっそく行動に移します。

「いまさら訊けない、社会人のための教養講座(社会)」…、興味のある方、または会社の社員研修として取り入れてみたい担当の方は、教育の未来プロジェクトまでご連絡ください。いかようにもアレンジしてご提供いたします。

目次

私が、社会人のための「教養講座」を開講する理由。

高校教員として培ってきたスキルが、それがそのまま社会人にも通用するのではないか…、逆に人の親となり社会の中枢を担う年代にさしかかっている「今」からこそ、正しく学んでおきたい人々もいるのではないか…、そんな想いから「社会人のための教養講座」を開講してみることになりました。私自身が、世間からどのように必要とされ、また世間にどのような貢献ができるのかを正確に知るためにも、その講座で社会に攻め込んでみたいと思います。

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