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「昭和のものさし」で考えてみると…。



個人的に「令和」という元号にはどうも違和感があり、あまり使用していません。役所などに提出する書類の日付欄には、予め「令和」と印字されているものもありますが、そういった指定がない限り極力西暦年を記入するようにしています。

私が「令和」に親近感をもてないのは、たぶん今上天皇の即位そのものに私自身が実感を抱くことができていないからです。今上天皇は私よりも一つ年下で、子どもの頃、近所に住んでいた直樹くんの学習院時代の同級生でもあります。つまり直樹くんは、なんと天皇のご学友で、その直樹くんを私は舎弟のように従えて遊んでいた…、そんなわけですから、直樹くんから浩宮(ひろのみや)殿下の日常の様子は漏れ伝わっており、よって私の中では今上天皇は未だに「浩宮」なわけで…、まさか、あの天武天皇や桓武天皇、明治天皇の皇統を次ぐ「天皇」だなんて思えないのです。

「令和」に違和感を抱くもうひとつの理由は、私の人生観にありそうです。「昭和(後期)」は、私の青春そのものでした。溢れるエネルギーがどんどん「希望」を手繰り寄せてギラギラと輝いていた時代…、それが私にとっての「昭和」です。その後に続く「平成」は、私の30歳から60歳までの時期ですから、自身にとっては挑戦と失敗…、けれども同時に円熟と安定をもたらした時代でもありました。若かりし頃のエネルギーは決して枯渇することなく血流を促していた…、つまり情熱は衰えてはいなかった…、これだけは確かです。



ところが「令和」となり、あの「浩宮」が天皇です。日本国の、日本国民の象徴です。つまり浩宮殿下は、ついに最後の任務に服された…、そこは(不謹慎ではありますが)双六でいえば「上がり」のポジションです。もうそれ以上に「上」はないわけで、それに伴う「責任」も最上級のものです。

であるならば、(会ったことはないけれど…)「浩宮殿下」の肩にのしかかる重責の一端(何百万分の一くらい…)を共に担ってやろうじゃないか…、などという不遜を勝手に抱く年頃になってしまった…、ということは、私自身も「人生の上がり」のポジションに鎮座しているわけで…、なるほど、そこからは「下りの人生」しか見えてこないのであります。 つまり人生「下り坂」を否が応でも実感するしかなく…、これはもう抗うことはできない…、観念するしかない…、浩宮も「きっと同じ思いでいるに違いない…」と己に言い聞かせるのであります。



それでも「令和」に屈したくない、「令和」を認めたくない私がいます。しかも私には高校教師という職業柄からなのかもしれませんが、「青春の残滓」が色濃く留められていて、ものごとを若かりし頃、つまりエネルギーに満ち溢れていた「昭和の精神」で掘り下げてみるという癖があります。それは「昭和のものさし」で思考するということであり、「平成のものさし」しか持ち得ない40歳代以前の人々には存在しない思考回路です。

浩宮殿下は昭和34年生まれ。その1年前の昭和33年が私の生まれた年です。終戦が昭和20年ですから、私は戦後13年目にこの世に生を受けたということになります。そしてこれが重要です。つまりその後の私の幼少期から青春期までの私の、その周囲を取り巻いていた大人たち(親戚・教師・近所の人々)すべてが戦前・戦中を生き抜いてきた人々であるってことです。私を導く大人たちの思考の中には、良くも悪くも「戦争」という強烈な背景(前提)があり、さらに極端な言い方をすれば、そのうちの何割かの大人たち(当時の高齢者)からは、確実に「明治」の息吹を感じ取ることができました。

この「明治」や「戦争」を直接的に体験していた世代がますます消えていく中で、それらを空気感として確実に伝達された最後の世代…、それが私たちの世代なんです。よって私たちの青春の足下には、常に「戦争」の暗い影が横たわっていました。そしてそのことは、私たちが受けてきた教育にも大きな影響を及ぼしました。



正確に言えば、私たちには「正しいナショナリズム」がどういうものであるかを知りません。戦後の民主教育は日本の戦前のナショナリズムを極端に否定するところから始まっていて、少なくとも私の青春時代までは真のナショナリストは、私たちの面前には現れなかったし、あの三島由紀夫が「憂国」の念から日本人の愛国心を鼓舞しても、私たちのナショナリズムにそれが引火することは決してありませんでした。

ところが「平成」の世になった以降に、高齢者の一部と若者の相当数からナショナリズムを純粋に信奉する雰囲気が蔓延し始めたことを私ははっきりと覚えています。「日の丸」「君が代」を何の躊躇いや困惑を抱かずに…、それが国旗・国家に成り上がるまでの経緯にすら関心をもたないまま…、まるで先の戦争に一㍉たりとも責任を感じていない人々の俄な台頭に、当時の私は強烈なる違和感を抱いていました。

「平成」の社会は、そのままグローバリズムの到来と軌を一にするものですから、グローバル社会の中で、いかに国益を守り抜くことができるのか…、それが全国民的な喫緊の課題でした。そして極端なグローバル社会への参入は、国民に無意識下の不安を煽ります。その国に伝統的に根付いてきた文化やしきたりが破壊されてしまうことへの不安が蔓延するのです。よってそのカウンター的根拠としてナショナリズムが 形成され、社会のバランスを取ろうとしていたのです。



 

ここに「昭和のものさし」を登場させてみましょう。平成は1989年に始まりますから、昭和に当てはめると「昭和64年」です。ちなみに現在は2020年ですが、同時に「昭和95年」でもあります。つまり今年は戦後75周年の年なんですね。

先の戦争に日本の、または日本人の「戦争責任はなかった」とする声を聴く機会が増えてきました。中には「先の戦争で日本はアジアを欧米の侵略から解放したんだ」とする論を堂々と述べ、「だからアジア諸国からは感謝こそされども恨まれるいわれはない」として日本の戦争行為を正当化しようとする人々が、その声を潜めずに胸を張って論じている…、そういった空気が次第に充満してきていることは、「昭和のものさし」で見ないと、その本質を見誤ってしまいます。

近年のナショナリズムの台頭は、それが国民・市民の深い思考の裏付けによってもたらされたものではなく、戦後の抑圧からようやく解放されたところの国民・市民の「情緒のみ」によって形成されている実に不安定で危険な現象であるということを私たちは知っておくべきでしょう。私たち日本人には、その良し悪しは別にして欧米のような市民革命によって社会(国家)を獲得してきた経験がないのです。だからその日本人に伏流するナショナリズムの精神は、究極的には国家やそれと結ぶメディアによって形成される官製のものでしかなく、そのナショナリズムの成果は、結局は国民・市民に還元されずに国家が享受するというカラクリになっている…、そのことに私たちはもっと敏感であっていいのだと感じています。



コロナ禍にあって、現在、この国には緊急事態宣言が出されています。そのこと自体に異論をもつ必要は、たぶんありません。そのくらい緊急事態ではあるからです。しかしその状況下で国家は「何を」「どのように」行おうとしているのかについては目を光らせておくべきでしょう。

コロナ禍の初期に、「新型コロナは正しく恐れる」というフレーズがメディアによって発信されていました。「正しく恐れる」…、これはとても冷静で知性的な国民への呼びかけです。しかしその後、国民は本当に「正しく恐れている」でしょうか? 相次ぐ自粛、買いだめ、検査・検査・検査…。それを一㍉でも犯そうとする人々に対する怨嗟の声は後を絶ちません。まるで非国民扱いです。

ルールを守れない、空気を読めない…、そんな人々はどこにでも一定数は存在します。それを前提に物事を考えれば、現行の国民総ヒステリック現象は起こらないはずです。

今は「戦時体制なんだ」と誰かが言っていました。確かにそのように振る舞った方が究極的にはコロナを早期に退治することができるのかもしれません。しかし「戦時体制」であると認識しても、「挙国一致体制」を望むのはやめた方がよろしい…。

強制された「挙国一致体制」は、戦前の国民情緒によってもたらされたナショナリズムに基づく「戦時体制」とまるで同じ構図であるからです。突き詰めて考えた時、社会が崩壊しそうで、知人が死んで、家族が病んで…、国民がヒステリックになっている時こそ国家はそれにつけ込み「挙国一致」を要請してきます。歴史がそれを如実に示しているんです。

おもいっきり冷静に国家を監視しなければなりません。それが唯一、国難にあたって国民ができることです。「冷静に国家を見つめる」…、そのためには歴史を学ぶことが重要です。だから「令和」で都合良く歴史を「区切る」ことは危険なんです。

「昭和のものさし」で考えてみてください。アフターコロナの健全な社会を想像しましょう。

目次

「昭和のものさし」

歴史を正しく理解するためには、日本の場合は「元号」に振り回されない方がいい。「令和」や「平成」は、その時代の空気感を示すには都合がいいが、歴史そのものをそれらの「元号」が分断してしまう恐れがあるからだ。近年の日本社会に台頭するナショナリズムの正体は、間違いなく戦後教育で抑圧された愛国心が、その反動として国民に充満してきているからだ。そしてこのナショナリズムは危険だ。日本人が自らの頭で思考し発想したところの愛国心ではなく、国家やそれと結ぶメディアによって官製でつくられたものであるからだ。現行のコロナ禍は、国民を挙国一致へと導くことになるかもしれない。国民は正しく冷静に国家を監視し続けなければならない。

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