教員が保護者から「学ぶ」…ってありです!

 教員の学歴について改めて考えた場合、その全員が大卒になるわけです。これって当たり前の事ですが、学校で教育を施す場合に、そのことが盲点となって十分な対応ができないことだってきっとあると思うんです。

 大学進学率が全国で50%を超えた現在、私たち教員には、ある種の危機が迫っています。教員の根幹に関わる大事件ともいえる危機です。

 かつての日本では、例えば昭和の後期に大卒者は、せいぜい30%台でした。それ以前ではもっとその割合は低かったわけで、当時の保護者に絞って考えた場合、その割合は20%程度であったと思われます。高度経済成長期以降に大学への進学が加速したことを考えると、それ以前に青春時代を過ごした保護者の世代に大卒は少なかったのです。

 であるからこそ、「全員が大卒」であるところの教員には、社会的なステータスが保証されていて、子どもをもつ保護者からも一目を置かれていたことは間違いありません。よって教員が施す教育に、保護者が安易に口を挟むことは、社会的文化としてもあまり起こりえないことであり、教員の側と保護者の側とでは、同じ子どもたちの教育の見方にも適度な棲み分けができていたことは容易に想像できます。

 しかし、特に現在の首都圏ではその60%以上の保護者が大卒となっています。このことは教員と保護者との間にあった「教育の壁」がすでに存在し得ないことを物語っています。よって教員は、常に保護者と同じステージで子どもたちの教育を展開しなければならないのであり、逆に保護者の側は、それこそ無意識のうちに我が子に教育を施す教員の監視役という役割を担うことになるのです。つまり教員には、もはやかつての社会的ステータスもなければ各種の特権すらありません。

 生身の人間(教員)が、その言動を世間から監視され、丸裸にされた状態で学校という過酷な職場で教育を施しているのです。教員の学歴がステータスにならない状況下では、教員のもっている資源(情報・経験・知識)と保護者がもっている資源(情報・経験・知識)とでは大差はなく、教員も保護者もフラットな状態で教育を考え、語ることができるのです。しかしそんな環境にあって、唯一、一部の教員の側がもっていない資源(情報・経験・知識)があります。それが「子育て」です。

 教員の全員が「大卒」であるのと同じように、保護者の全員が「子育て」の経験者です。この保護者の「子育ての心境」に教員が追いつくのは、たとえ平均的な年齢で結婚をして子どもに恵まれたとしても、現場に採用されてから10年以上の年月が必要となるでしょう。つまりその間の教員は、こと「子育て」に関しては素人であり、保護者となんら共有できるものはありません。いくら頭で「教育」を学んできていても、経験値としての「子育て」が不足しているのですから、その道の遠くを歩んでいる保護者とは見ている、見えている景色がまるで違うのです。

 その意味で教員がやっと保護者の存在を恐れずに(自己の判断を躊躇せずに)「教育」を施すことができるのは、せいぜい40代以降になります。その年代になれば、たとえ子どもがいない教員でも子どもへの「教育」は、保護者とはまた違ったアプローチで施すことが可能となります。自身の教員としての立ち位置を明確に悟ったこの年代の子どものいない教員は、だからある意味で立派な教育評論家(指南役)になり得るし、現場にはそういった「傍目八目」も必要なのです。

 さて問題なのは、年齢が40代に満たない教員が、物理的にも精神的にも保護者を超えられない現代の学校教育界において、そんな若手教員はどのように振る舞ったらいいのでしょうか。学歴だけでは勝負ができないことは前述しましたが、それでも教員が教員としての立ち位置を確立する方法ってあるのでしょうか。

 あります。

 あなた(若手教員)には、教員としてのプライドを捨てる覚悟はありますか? 教員という職業が、どんなに過酷な環境下で働かされていてもそれをガマンすることができる…、そのためのモチベーションを維持する原動力…、それは「尊厳」です。何の根拠もないけれど「尊厳=プライド」だけは人一倍強く保っている教員ってたくさんいますよね。その方々の「尊厳」をとりあえず脇に置いておいて、子どもたちに対して保護者と同じ景色が見えるようになるまでの期間を「教員の学び」の期間と解釈したらいかがでしょうか。

 つまり教員が保護者から「学ぶ」のです。保護者が教員から「学ぶ」ことは、せいぜい学校での生活状況とか学業成績に関することでしょう。しかしながら教員が保護者から学べることは計り知れません。子どもたちは、それぞれの保護者が迷い戸惑いながらも心血を注いで育ててきたところの、いわば「作品」(親の所有物という意味ではありません)です。どのように言葉がけをし、どのような環境作りをしてきたのかは家庭によってまちまちでしょうが、それぞれの保護者が実践してきた「子育て」の積み重ねが、今、あなた(教員)の前にいる生徒なんです。

 学級に40人の子どもたちがいれば、40通りの子育てがあり、保護者は決して言わずとも、そこまでの子育ての過程に誇りをもっています。そう、あなた(教員)が、何の根拠もなく抱いている誇り=「尊厳」なんかよりも、ずっと説得力のある経験に裏付けだれたところの「誇り」なんです。

 それを学ばない手はないでしょう。

 「どのように育てたらこのようなお子さんになるんですか?」…、そういったスタンスで保護者と接することで、あなた(教員)の肩にかかる重荷がずっと減り、気持ちが楽になるかもしれませんよ。それに意外と、そういった教員は、保護者から信頼されます。少なくとも「頭デッカチでお利口さんなだけ」の教員とステレオタイプで評する人々には案外と新鮮に映るのではないでしょうか。

 ちなみに、このアイデア…、というか作戦…、私も40代までは実践していました。その結果、教員にはつきものの「上からの目線」は完全に消え去りましたね。

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