教員の長時間労働は、格好の教材にもなる。

 職場によっては、フェイスブックに代表されるSNSでの従業員による発信を制限しているところがあります。業務上の守秘義務を厳格に守るという大義名分からそのようにしているのでしょうが、職場の暗部が世間に拡散されるのを恐れているから…、とする見方もあります。

 学校はそういったSNSでの発信に制限が加えられている代表的な職場といってもいいのでしょうが、実際のところはどうかと言えば、特にツイッターの世界では全国の無数の教員が匿名で様々なツイートを投稿しています。そしてその9割近くが職場内の悪しき労働環境を克明に告発しているんです。一見してそれが嘘のツイートではないことは、長年学校に勤務している私にはわかります。

 特に教員の長時間労働に関しては、遅まきながらもメディアが取材して発信している内容よりも深刻で、国が長時間労働を是正しようとして行おうとしている様々な政策が、現場の救済策には決してならないであろうことを教員はちゃんと理解しています。そしてそのような労働環境に放り込まれている自身を嘆き、中には既に休職し、または退職して学校という職場に見切りをつけている人々もたくさんいるのです。

 このような状態を放っておけば、ただでさえ減少し続けている教員希望者が、今後もますます減り続け、学校というシステム自体が機能不全に陥ってしまうことも決して絵空事ではありません。よって教員の長時間労働は1日でも早く、抜本的な部分で解消しなければならないことです。その意味で、先週末に文科省から打ち出された教員の長時間労働に関する改革案の骨子に、放課後部活動指導の教員勤務時間からの切り離しがありました。賛否両論があることは承知していますが、まずは物理的に教員を拘束している部活動のあり方にメスを入れようとする国の姿勢は間違ってはいません。文科省としては珍しく、とてもメッセージ性のある改革案をよくも示せたものだと個人的には感心しています(上から目線です)。

 ところで、教員の働き方については現在、国民的な関心事になりつつあります。教員が長時間労働でかくも疲労困憊し追いつめられているなんてことを普通の人々は知るよしもなかったのですから、メディアがこぞって学校現場のブラック度を世間に広めてくれたことに関しては、そこに働く教員にとっては追い風の現象であるといえます。

 と同時に、今まで曖昧とされてきた教員という職業の日本社会の中における立ち位置が明確になったということに関しても昨今の風潮がそれを後押ししてくれています。つまり教員職はもはや「聖職」などではありません。教員…、先生はまごうことなき完全なる「労働者」の一員である…、そのことが世間にハッキリと伝わり広まったとうことはが実は画期的なんです。これで教員は、明治以来続いてきた、まるで実態の伴わない「聖職者」から見事に解放されたのです。

 であるならば、私たち労働者(教員)は、格好の教材を生徒に与えていることになります。中高生にでもなれば、教員の働き方が世間から大注目されていることを十分に知っています。私の周囲では「先生…、大丈夫なんですか?」と直接に心配(憐れみかな?)してくれる子どもたちすらいるのです。そう、彼ら子どもたちは私たちの動向に注目しています。

 ところが今までの学校では、労働者の権利や資本主義下における労働者の立ち位置などを詳細に教えてきた歴史がありません。私の知る限り、中学の「公民」で、多くても2時間程度、高校でも「現代社会」や「政治経済」の授業でせいぜい2~3時間です。扱うのは労働三権と労働三法、それに労働基準法のほんのさわり程度でしょうか。

 歴史的にその程度の労働者教育しか受けてこなかったのは、教員も同じです。よって教員の中には自らの労働者としての立場が未だに曖昧なまま「労働」をしている人々がかなりの割合で存在します。そんな状況で学校が真に子どもたちに労働者教育ができるとは思えません。余談ですが、国が学校で労働者教育を手厚く行ってこなかったのには理由があります。国が財界とズブズブの関係にあるからです。財界では労働者に余計な知識が蔓延することをことさらに恐れる風潮があります。そうなってしまったのは、1970年代まで続いた過激な労働運動に財界がことごとく手を焼いてきたからなんです。だからその過激な労働運動の封じ込めに成功した80年代以降から、二度とそのような国民的労働運動を起こさせまいとする圧力が、財界からかかりました。よってそのような政治的理由から、日本は世界でも珍しい希有な資本主義国、言い換えれば「ちょっと暢気な労働者による資本主義国」へと育っていったんですね。

 でも21世紀の今になって、もはや国の根幹を揺るがすような労働運動や社会主義運動は起こりえません。だったら資本主義の世界で労働者がどのように振る舞ったら幸せで豊かな生活を送ることができるのか…、について、これからは積極的に学校で教えなければならないはずです。「自立した一個の国民を育てる」のが教育の使命ですよね。そしてこの国は資本主義を標榜しています。だったら今からでも子どもたちに「労働」と「労働者」のあるべき姿を教えようではありませんか。

 教員の長時間労働をめぐって、総合的な学習でもいい、アクティブラーニングでもいい、学級活動でもいい、子どもたちにもその解決の糸口と方策を考えてもらいましょう。そのことがひいては子どもたちが社会に出たときにきっと役に立つ「資本主義を生き抜くためのスキル」となっていくはずです。

 そのためには、教員のみなさんがもう一度、自分たちの労働環境を見直す必要があります。自身の労働環境を「国家に守ってもらう…」だけを期待している労働者としての教員…、そもそもそういったさもしい精神から変えなければダメなんです。

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