私が教師であり続けることの意味。

 新年を迎えたからといって、何か今年の目標を掲げるとか、心機一転…などという特別な心境になることはありません。元来が信心深くもないし、自分本位で生きてきましたから、正月という国民的行事を、今年もどこか冷めた目で見ている私の立ち位置に変化はありませんでした。

 ただ一点、毎年の正月に繰り返し思うことがあります。「あぁ、今年もまだ教員やってんだ…」ということです。そのくらい私にとっての教員という職業は、奇跡の連続によって続けられてきたんだなぁ~、という感慨深さはこの歳になっても決して褪せることはないんです。

 思えば「ひょんなこと」から私は教員になってしまいました。その詳細は省きますが、大学の4年になるまで、教員になろうと考えたことは一度もありませんでした。しかも体育会の主将を務めた私には、ちゃっかり春先に就職先の内々定がおりていました。ただ教員免許だけは何とか取得の目処がたっていて(おかげで4年生の毎日は講義で埋め尽くされていましたが…)、後は不謹慎ではありましたが「思い出作り」のつもりで教育実習のために母校(高校)に赴きました。そして指導教諭は、私の「思い出作り」にたぶん適当に付き合ってくれていたのだと思います。ところがこの教育実習のあたりから「ひょんなこと」が二度、三度続いて…、私は気がついたら教員の道を歩んでいたのです。

 「これは事件だ!」と、教育実習を指導してくれた先生に言われました。「ウソだろ!?」と、何人もの友人に驚かれました。しかし一番驚いていたのは、当時からお付き合いをしていた現在の妻でした。真面目な妻にしてみれば私のような「落ちこぼれ」が教員になるなんて信じがたいことであったのでしょうし、何といってもこんな男に教員など続くはずはない…、そういう心境であったのだと思います。

 妻(当時は彼女)の心配は的中しました。学級経営や部活での統率力ならば、それなりの勘とノリで何とかやり過ごすことはできましたが、私には肝心の学力というか、総合的知識力というものが全く欠けていたのです。考えて見れば私の高校時代や浪人時代(この事情も詳細は割愛します)、それに大学時代には勉強を突き詰めたことが一度もないのですから仕方がありません。カッコよく言えば自身の人間作りに忙しくて、大学受験とてまともに勉強と向き合ってこなかった…、つまり勉強から逃げていたのですから、教員になりたての私の無知は、ある意味で確信犯的だったのです。

 このままでは「マズイ!」と直感した私は、当時の教頭に直談判しました。「特進クラスの授業を担当させてほしい!」と。「特進」といえば大方の高校が看板コースとする大学受験に特化した「特別進学コース」のことですから、若輩者の私に、そのお鉢が回ってくることなど、まずあり得ません。ところが教頭は私の申し出を快諾しました。逆に困ったのは言い出した私の方です。「どうする、どうする!?」状態です。でも今更、前言を撤回することはできません。それは男の美学(カッコいい!)にも反します。

 私は心を決めました。「ならば、よし、勉強しよう!」と…、思い返せば中学3年時の高校受験以来途絶えていた私の勉強モードを全開にしてみたんです。「特進」を無謀にも希望したのは「後に引けない状態をつくる」ことにあったのだと、自分に言い聞かせて、私は日々、大学受験を真剣に考える受験生諸君と真剣に向き合いました。たくさんの先輩教師の授業も見学に行きました。もちろん部活にだって手は抜きたくありませんから、私の授業のための仕込み(教材研究)は、連日夜を徹して行わなければならない状態…、まさに自転車操業です。

 そんな時、私はいつも思っていました。「なんで教師なんかになってしまったんだろう?」って。自慢できる学力も学歴も…、何もない私が「なに、偉そうに受験指導なんかしてんの?」って。

 でも、そうは思っていても、その当時の私の脳裏には、教員を辞めたいという考えは一度もよぎりませんでした。なぜか? それは今ならわかります。「面白かった」からです。とにかく毎日が面白かった…。新たに獲得した知識や教養が私自身の血となり肉となる…、それをダイレクトに子どもたちに伝えることができる環境にいる…、子どもたちの私に対する反応が日々変わってくる…。そんなことの連続が当時の私のすべてでした。そしてそれは考えてみれば実に単純な構図なんですね。頑張って勉強する若手教員と、それを頑張って吸収しようとする受験生との間に生まれた友情にも似た関係が、互いに響き合ってその一時を有意義なもの(時間)にする…、だから無性に楽しく、面白い…、そんな構図なんですね。

 私には教員になってしまった「後ろめたさ」が付きまとっています。これは決して大げさではなく、また謙遜でもありません。この「後ろめたさ」を抱えながら、それでも私は36年間も教員をやってきちゃいました。真面目に教員を目指して、その夢が叶い教員をしてきた方々にはホントに申し訳ない気持ちですが、(ゴメンナサイ)私は後悔はしていません。そして(不思議です)、そのことがコンプレックスにはなっていません。もちろん人間ですからコンプレックスの一つや二つはありますが、私のような(元々)ふざけている男が教員を続けてしまったことに対するコンプレックスは…、たぶん…、1㍉もありません。

 けれども学力や教養に対するコンプレックスは60歳を超えた今でも消えませんから、やっぱり教員という職業を途中で投げ出すことはできないんですね。私のような人間は一生かけて勉強して…、それでやっとひとかどの教員になれるんだっていうこと…、ちゃんとわかってますから…、だからこれからも「勉強」です。だから私に何か新しいことを教えてくれる人がいたら、どんどん教わっちゃいます。たとえそれが生徒であろうが誰であろうが…です。

 そうなんです。私は…、まだまだ…、「知」に飢えているんです。

 今年の正月も、そんなことを考えながら鋭気を養っています。つまり…、今年の私も…、手強いですよ!

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