「面白い」を伝える、それが教師の使命

 年末もさし迫ってきました。一年を振り返って、教員としてのあなたの「1年」とはどんなものであったのでしょう。短い冬休みに、日頃被っている「先生」という重い鎧をはずしてみて、本来のあなたに戻った時、あなたが本当に思い描いていた教師像に今年も近づけたのかどうか…、それを冷静に検証してみるのも悪くはありません。この道37年目となる私にも、同じ事が言えます。教師として自分はどうだったたのか?って…。

 ある教員(友人)が言ってました。「教員と子どもたちの関係なんて、長い人生の内のホンの一瞬の出会いにしか過ぎない…」「その一瞬の出会いの時に何ができるのかって考えたとき、何かの『面白い』を伝えることしかできないんじゃないかな…」と。

 それは勉強でもいい、部活でもいい…、子どもたちが何かに夢中になれる、「面白い」と思える、そのきっかけを教員が与えることができた時、それだけで教員の使命の大半を果たしたことになるのかもしれません。立派な社会人に仕立てる…、優秀な人材を育てる…、それも確かに教員の使命には違いありません。しかし、立派になる、優秀になるためには、誰にでも「面白い」と思って夢中になれる時間が必要です。「面白い」から夢中になれる…、夢中になっている時に人は様々なことを能動的に学びます。その学びの蓄積が、人を立派にし優秀にするのではないでしょうか。

 私たちは、どこかで大きな勘違いをしているのかもしれません。世の中の目には見えない枠組みの中に子どもたちを閉じ込めることが、彼らを大人にする近道であるかのような錯覚に捕らわれ、学校という装置を使って彼らを管理することに血眼になっている…、そんな過去の自分(私)を思い出します。管理してあげなければならない…、それによって子どもたちを世間の内に留めることができ…、そうやって子どもたちをひとかどの人間に育て上げる…。その上で彼らは小さいながらも幸せな人生を掴むことができるのだ…、というロジックで子どもたちの管理を優先してきたのではありませんか。少なくとも私はそうでした。そしてそれが正義であるとも感じていました。

 しかし、それは実に傲慢な考えです。教員はいつしか学校という人間管理装置そのものを維持するためだけの存在になってしまったのではないか…、最近、私はそう思っています。一年を振り返った時、例えば4月の当初に子どもたちが決して隠さずに見せていたあの「希望」に満ちあふれた目を、あなたは今でも確認することができますか? 何の根拠もないのに、「やる気」だけは見せ続けていた子どもたちの無邪気をあなたは今でも感じることができますか? 彼らは大人達からの常識の押しつけに疲れ、授業という勉強の押しつけに疲れ、そして人間関係の予定調和という押しつけに疲れてきているのではないでしょうか。

 もしも、あなたの周囲の子どもたちの元気がこの一年で失われてきていると思うならば、新たな年を迎えて、あなたには、子どもたちに新鮮な元気を再度注入してあげることができる…、そんなチャンスがあります。それにはまずあなたが元気にならねばなりません。そして元気の源は…、「面白い」と思う気持ちです。これ…、少し想像すればわかりますよね。「面白い」が、すべての原動力なんです。

 だから、考え方は簡単です。あなたが「面白い」と思えることを教えてください。子どもたちに伝えてみてください。勉強でも、運動でも、音楽でも、そして人間関係でも、何でも「面白い」ことを拾い集めるんです。教員にとっての冬休み・夏休みとは、その「面白い」を仕込む時期であっていいと私は思います。

 けれど、それでも「面白い」ことに出会わない人(教員)もいるかもしれません。だからとっておき、究極の「面白い」収集法をお教えします。

 自分では考えたこともない初めての世界に飛び込んでみてください。そしてそこでとにかく学んでみてください。するとわかります。自分にもできないことがあるんだってこと。ちなみに私の場合は5年ほど前に「ホットヨガ」の教室に飛び込みました。そして自分のできなさ加減に愕然としました。それでも暫くガマンして、周囲の励ましもあって何とか続けてみました。するとある瞬間、それまでできなかった一つのポーズができるようになったのです。「スゴイ!」とインストラクターに褒められました。調子に乗った私は、だからまた褒められたくて、次々と新しいポーズに挑戦したんです。その時、その瞬間は夢中です。

 そして私は、久々に「面白い!」に出会ったのです。できなかったことができるようになる…、そんな「面白い」体験はありません。

 この「面白い」を子どもたちに伝える…、それを新年の目標にしてみてはいかがですか…。

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